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過去を引きずり、未来を憂いて。

エッセイの冷蔵庫、と言って身近にあるものを適度に取り上げながら書き始めた。そして、全部書ききる兆しがようやく見えてきた。あと4つというのはちょうどいい距離である。

お題を書き出したのは、エッセイとして書けそうなものが無くなったと感じた時期に「とりあえず身の回りのものでネタがありそうなものをピックアップしてみよう」と、並べてみたのが始まりだ。とりあえず書き出したのはいいものの「え、これ何」と思ったお題もある。今回のテーマ「時計」がそれだ。

そもそも、私の部屋には時計が無い。腕時計さえない。スマートフォンにはかろうじて時計機能がついているのだが、使っている時計はそれだけである。

あとは、炊飯器にも時計がついている。デジタル表記がされているのだが、表示される時間が5分早い。まだ余裕あるじゃん、と思ってスマートフォンをチラッと見ると、遅刻ギリギリの時間になっていることさえある。

周囲を見渡しても、時計に限らずあったらいいなと思ったものを全く買っていない。鏡もない、自転車もない、テレビもない、ラジオもない。ミニマリスト、という言葉もあるが、私の場合は物がない不便さよりも買う面倒くささが勝ってしまう。時計もその一つだ。

例えば、近くに時計屋さんはない。時計屋、というカテゴリのお店が近くにはないのでいわゆる家電量販店で買う事になるのだが、そもそも家電量販店が遠い。歩けば15分くらいかかる。

東京では徒歩30分の最寄り駅までなんの迷いもなく歩いていた。しかし、今では徒歩15分の距離がめんどくさい。続いて、通信販売での購入を検討するのだが、私の職場は終わりの時間が21時だ。仕事終わりには受け取れない。ただ、出勤は午後からなので午前中に配送してもらえれば受け取れる。が、私は寝起きがたいそう不機嫌なので、見ず知らずの方に不機嫌な顔を朝っぱらから見せるのも恥ずかしい。

そんな言い訳を重ねて、一人暮らしの人が持っていると便利なものをことごとく買わずにいる。最近買うように言われるのは自転車だ。

「活動範囲が段違いになるよ」

と、人は言う。

しかし、私はまだ買っていない。いろいろ言い訳はあるのだが最近出てきたお気に入りの言い訳は「引っ越すとき大変だから」である。自転車を買うにしても「いやー、引っ越すときどうしよう」と、ゴロゴロしながら考えている。別に今しなくていい心配なのだが、買う気が起こらない自分の気持ちには、多少バカバカしいくらいの理由をつけておいたほうが説得力が増す。鏡も自転車もテレビも引っ越す時壊れそうだから買わない。

別に今から引っ越しのことを考える理由は全く無いし、引っ越し基準で全ての物事を進めてしまうとだいたい面倒くさくなってくる。

一方の問題は買いたくなったときだ。いざ買おうと思ったときに「でも、引っ越すときのことを考えてないな」と、過去の自分の過ちに整合性を持たせるため、こんな意味のわからない問に答えなくてはいけなくなる。

本当はそんなこと考えなくてもいいはずなのに、質問を置きっぱなしにしておくのが気持ち悪い。

過去の自分が生み出したものは、できるだけきちんと片付けをしておきたい。考えを変えるときや、行動を変えるときは、以前の自分が大切にしていたことをしっかり清算してから変えたなることがある。

新しいものを手元に加えるときは、以前の何もなかった自分を少しだけ捨ててしまうことになる。時計のない部屋に住むことをやめて、時計のある部屋に住む。ほんの少しの変化だが、そうして少しずつ私は変わっていく。変化する時期の節目に来ているのであれば、変わる瞬間は以前の価値観を塗り替える瞬間でもある。

だいたい変わってしまったあとは、以前の自分が思い出せなくなってくるのだ。スマートフォンを持つ前の自分を、私は思い出せない。文章を書く前の自分を私は思い出せない。知らぬ間に変化してしまうと、それ以前の自分のことを全く思い出せなくなる。

もう既に、30分かけて毎日学校へ通っていた自分が信じられない。電車に揺られていた自分を思い出せない。忘れていくというのは、悲しみとともに不安もある。

これから何を積み重ねても、忘れてしまうのではないかという不安が、いつもどこかに引っかかっている。

めんどくさい。という気持ちがダラダラ佇みながら何となく時間が過ぎ去ると、ここまで特に必要無かったんだし、改めて買うこともないか、と、そういう気持ちになってくる。

スマートフォンでも、炊飯器でも時間は表示される。パソコンにも出る。あえて時計を買う理由は何もない。

腕時計くらいはつけようか。そう思いながらも、以前貰った腕時計を壊して以後、なんだか時計を付けづらい。

過去を引きずり、未来を憂いて。私の手元に時計が現れる日は、まだまだ先のようだ。

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今回のテーマ「時計」

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