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私を「私」と呼ぶ時

まだ、毎晩恋人と電話している。

そう毎晩毎晩話すこともないので、最近は「○○君?」「うん?」「大好きだよ」「ふふ、私も」という会話くらいしかしない。文字に書き起こすとあまりにも中身がなさすぎて顔を覆いたくなるようなやり取りを何度もしている。しかし、互いが手にしているスマートフォンの画面に映っているのはゲームだったり将棋だったりしているので、人間の建前と本音というものが恋人間にも存在することをこの一連のやり取りは示している。

「大好き」「私も」

と言う一方、その言葉は画面に向けて囁かれている。

私の一人称はオフラインでも「私(わたし)」だ。22歳男が、SNSを介さない生身の状態で「私」である。これは時々驚かれる。ただ、「私」にこだわりがあるというより「私」も使うよ。というくらいのものである。「俺」だって言うし「僕」だって言う。「あたし」も使うし「ワシ」とも言う。一人称を人によって使い分けるという状態に近いのかもしれないが、ほとんど意識していないので上司に対しては「私」だったか「僕」だったか分からない。少なくとも「俺」を用いてはいないという自覚はある。目上の人に対しては基本的に「私」や「僕」を使う。なので、「私」という自分に対しての違和感が皆無という方が表現としては近いのだ。

恋人に対しては「私」か「俺」である。しかし、使い分けることによってキャラクターが変わるわけでもないので、本当に一人称が変わっているだけに過ぎない。友達に対しては「私」「俺」「ワシ」「あたし」の4パターンを使うことがあるのだが、「僕」だけは滅多にない。

「私」という一人称を生身の方で使い始めたのは、就職活動の少し前くらいである。

昔から日常のちょっとした本番や、ここぞという時に弱かった。例えば、公的な書類にはボールペンで書かなくてはいけない。普段と同じ自分の名前と、さして難しくもないふりがなを書くのだが、なぜかよく間違えた。普段とちょっと違う心意気で望むときに、度々文字を書き間違えて、修正液(ときにはテープ)で直したり、新しい紙に交換するなど地味にめんどくさいペナルティを受けていた。

シャーペンの時は間違えるほうが珍しいのに、ボールペンに変えた途端にだめになってしまう。これはもう慣れの問題だと判断した私は、普段からボールペンを使うようになった。手帳には必ずボールペンで書き、シャーペンで書くのは黒板を写すノートくらい。ボールペンを使うことがさして珍しくなくなったとき、書類のミスもすっかり減った。

同じ要領で、就活のときだけ「私」などと言っても、そちらに意識を持っていかれてしまう。なので、普段から「私」と言う自分に慣れてしまおうと、一人称を変えた。

最初は緊張した。とりあえず友達相手に言ってみた。普段と違うことをするのは、相手の見る目が変わる場合もある。ただ相手はそんなに気にしていない。むしろ、相手の反応を窺ってしまう自分の方が大きな存在感を放っていた。しかし、だんだんと慣れていき、今ではほとんど意識しない。エッセイを書く時の「私」表記にも慣れてしまっている。だから、書く時に自分の呼び方を意識することはほぼ無い。

私の知り合いに一人称を変えた時のことを聞けば、その時の違和感や気持ち悪さを話してくれるのかもしれないが、今ではもうそんな話を聞いたとしても修正する気が湧かないであろうと思うくらいには「私」に慣れてしまっている。

慣れてしまえば、どうってことはない。ただ、自然なことだと思ったまま、まだ付き合いの浅い人に話すと驚かれてしまう。それは、普段の習慣も同じだ。

「えっ!? 毎日電話してるの!?」

恋人の話をしていると、電話していることを驚かれることもある。

初めて電話をかけた日は、緊張していたのだろうか。今では、通話ボタンを押すことに抵抗がない。

何度かコールして、恋人が出る。

「お風呂入るからまたかけるでよ」

二言会話をして電話が切れる。電話の切れる音もすっかり馴染んだものになった。

今夜も、恋人からの電話を待っている。

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