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別の世界の私を覗く

絵を描いてもらっている。

ちゃんと、お金が発生するタイプの絵だ。描いてもらうのは私の絵。「タバコを吸っている私を描いてください」と依頼した。なぜタバコかというと、私はタバコが吸えないからだ。恋人もタバコが嫌いなので、多分今後私がタバコを吸うことはほとんどないだろう。しかし、タバコを吸っている姿そのものはかっこいい。なら、絵の中でタバコを吸えば臭いもしないし害もない。ただかっこいいところだけを採取できるのではないかと思い、タバコを吸っている私を描いてもらうことにした。

とはいえ、イラストレーターさんにちゃんと依頼するのには、随分と勇気が必要だった。価格の相場もわからないし、どの程度イメージを固めてから臨めばいいのかもわからない。しかし、一度、ちゃんとした依頼として絵を描いてもらいたいと常々思っていた。

私もこうしてエッセイを書いているが、出来上がるまで形のないものに値段をつける経験はなかなかない。自分の労力やかかったコストから積み上げて価格を決める方法もあるのだが、パソコンや紙、ペン、スマホと、いろいろな道具を適当に駆使して書き上げるエッセイという媒体に関しては正直「一本いくら」と価格を決めるのは難しかった。なので、試しに買ってみよう、せめて価格を聞くくらいはしてみよう。

そうして、先日、私はもちだみわさんに連絡を取り「タバコを吸っている私を描いてください」と、まぁまぁ勇気を振り絞って依頼した。わからないものをやってみるというのは、自分の手に負えない世界に足を踏み入れるような気分だ。自分に何ができるのかわからないが、とりあえずやると決めて足を踏み出すのはいつやっても緊張する。進み時と、引きどきを考えながら選択しなくてはいけないような気持ちだ。正直なところ自分に買える値段なのかもわからなかったが、そのあたりも正直に伝えながら丁寧に教えてもらった。知っている人なのだから、緊張することもないと思うが、知っている人だからこそ告白には勇気がいるのである。

無事交渉もまとまり、まずはもちださんがイメージを描く。文章にすると「描く」という具合で終わってしまうし、もちださんも「模索中」などと言っているが「え、もうこれは一つの作品として完成しているのでは?」と思うレベルの絵が来た。しかも、めっちゃイケメンじゃねぇか。

私も30歳くらいになったら、これくらいシブい大人になれるのかな……というイラストがそこにあった。もちださんの描くタバコのイメージや、雰囲気が得によって表現されている。私の提示した「タバコ」というテーマに対して、もちださん自身がどんなイメージを持っているのかを覗いているような気持ちだった。

しかし、そこにいるのは私ではない。「私」を加えてほしい。それをどう伝えたものか、少し悩んだ。絵はもう紛れもなく素敵なのだが、しかし、私が何を求めているのかも伝えなくてはならない。

「『これ私!』って言いたいんです」

言葉にして伝えるのは難しいことだったが、改めて自分の写真を送ることにした。そこに写っているのは、間違いなく私なのだから。しかしそれでも、うまく伝わるか不安だった。

学校の授業や休み時間に、クラスメイトが描く友人の絵の中に時々私も混ざっていた。

私を描くと多くの場合、眼鏡をかけた短髪の男性が描かれる。アイコンも似顔絵も、私をデフォルメするとその二つのパーツが特徴として残ることが多い。私も「似てるなぁ」と言って笑った。

確かに似ている。クラスの中で、眼鏡で短髪は私しかいない。でも、そのイラストは確かに私の要素は持っているけれど、すぐに見て「あ、こいつ知ってる」と思うかというと違うのだ。

「あんまり特徴ないよね」

と、言われることもある。

「パッと見ればすぐわかる」

と、言われることもある。私と長く過ごした友人は遠くからでも歩き方や姿を見ればわかるらしい。

自分の印象を聞いてみたこともある。どれも私に当てはまっていたけれど、それを混ぜあわせれば私になるかというと、どうにもそうではない気がした。人から見た私は、あくまで私の側面の一つだ。しかし誰から見てもわかる「私」という固有のものがどこかに潜んでいるようにも思えなかった。鏡で自分を見ることもあまりない。髪型を変えても、眼鏡を変えても、それは私のような気がするし、私の一部が何か変わったような気もする。

「雰囲気変わりましたね」と言われるときの「雰囲気」って何だろう。それの一部を組み替えて、今の私になっているけれど、どのあたりから「私」は変わっていくのだろう。私自身も変化していくし、人から見られる私も変わる。その中で、何か変わらないものが欲しかったのかもしれない。だから私は、高校生の時に初めて身に着けた黒縁眼鏡と印象の変わらない眼鏡を探して選んでいる。

「また同じようなのばっかり選んで」と恋人に言われ、冗談めかして丸い縁の眼鏡をかけたとき、私の顔は全く見慣れないものになった。

「文豪みたい」

そう言われたのがちょっと恥ずかしくて、私は眼鏡をはずす。私にとって黒い眼鏡は自分らしさの一つになっている。

写真を送ると、すぐに再びもちださんが新たなイラストが送られてきた。「これは練習」と言っていたけれど、そこには紛れもなく私がいた。私はうれしくなって、恋人にイラストを見せた。

「すごくない? これ私!」

もちださんは「『これ私!』って言いたいんです」という私のリクエストに応えてくれた。そこに私がいることが、嬉しかった。さして特徴がないと思っていた私の顔が、絵になって「私だ」とわかる。

自分の思っている「私」と、もちださんの思っている「私」が重なった気がした。自分の知っている私と人から見られている私が一致することなんて、めったにない。それが外見であっても、ダサいとかかっこいいとか言葉にすればするほど「そうかなぁ、そうかもしれないけど、なんだかしっくりこないなぁ」と思っていた。でも、それはどこから見ても私だ。

恋人も「プロってすごいねぇ」と感心してから「ほっぺが素敵」と付け足した。私のほっぺは、今まであまり特徴的だと言われたことはないけれど、描くときはポイントになるらしい。もちださんは、まだ模索中だと言っている。これから、この絵はまだまだ変わっていくそうだ。

誰が見ても私に見える絵に、理想や架空を付け足していく。知らない場所、持っていない服、吸えないタバコ。そこにいるのは間違いなく私だけれど、その日その場所にその服でタバコを吸うことは、ありえない。いや、あり得たのかもしれないけれど、今の私からはとても遠い距離にその私はいる。

「なんだか、別の未来を見ているような気分です」

私はもちださんに言った。感想を言うには、まだ早いような気もしたけれど、それでも本当に嬉しかったと、早く伝えたかった。もちださんから返ってきたお返事はとても丁寧だった。なかでも、一つ気に入っている一文がある。

「『ありたかもしれない私』を描けるのが絵や漫画の良いところで、そこに着目した今回の『煙草を吸っている私』というご依頼そのものが素晴らしいと私は感じています」

絵や漫画は、あり得たかもしれない世界を描き伝えられる。私はタバコを吸わないからこそ、かっこよくタバコを吸う自分の絵が出来上がっていくのが、楽しみになった。別の世界にいる自分に会いに行ける。今の自分と違うものの場所にいるからこそ、その中でも変わることのない「私」が見つけられそうな気がした。

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