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それが私、キッチンタイマー。

自己紹介が苦手だ。

「では、1分くらいで簡単な自己紹介をお願いします」

司会がそう切り出して、端から順番に自己紹介をしていくことになったとき、何を話せばいいのかわからなくなる。全員が自分の名前と、所属と意気込みを話しているのを聞いているのだが、自分の番が来るまで上の空だ。トップバッターも嫌だし、最後も嫌。でも、途中の何処かだったとしても、自分の前の人が発表しているときは、自分の番が来たとき以上に緊張する。

結局名前と、所属と、どうでもいい意気込みを話す。終わってみると、自分の前に自己紹介をした人の名前が思い出せない。その前の人も、その前の人も、その後ろの人も思い出せない。それに自分がさっき何を意気込んだのかさえ、思い出せないのである。

プロフィール欄を書くのも苦手だ。200文字程度で自分のことを書くのは、何度やってもうまく行かない。周りの人を見てみると、ライターとか編集者とか、いろいろな肩書があるものだが、私の肩書はいつもよく分かりにくいものになってしまう。

自分のことを一言で言い表してみましょう。などという課題に満足の行く回答を出せたことないのが私だ。

それは、noteでも同じことである。

私はエッセイを書くけど、エッセイストではないし。子どもたちやお母さんから先生と呼ばれているけれど、教師ではない。勉強を教えているけれど厳密には塾ではないので、塾講師でもない。

「私は〇〇です!」というように自己紹介が長いことできずにいる。喋るなら順序立てて、最初から最後まで話したい。


キッチンタイマーと申します。

東京生まれ東京育ち。数年ごとに景色のコロコロ変わる町で、行きつけの本屋も駄菓子屋も今は別の店に変わってしまいました。

小学6年生のときから中学3年生まで不登校をしておりましたが、高校、大学は出てほしいという両親の願いと後押しもあり、通信制にもかかわらず毎日登校ができる高校へ行き、30人の同級生と共に文化祭や体育祭をこなすうちに学校へ行けるようになりました。

その後、大学へ進学し、勉強を重ねるうちに特待生として扱っていただけるまでになりました。散々迷惑をかけた両親の手を離れ、現在は兵庫県で発達障害を抱えるお子さんたちに勉強を教える先生をしております。

恋人や友人から「お前は全く自分の話をしないねぇ」と言われたことに地味に傷つき、誰も知らない自分を見せるためにエッセイを書き始めました。

メンタルがやられたかと思えば、突然陽気に恋人の惚気話を始め、気がつくとずっと気にしていた友達の話をするなど、興味の矛先の変化が激しく、ご心配をおかけしがちな若造でございます。

今後ともなにとぞお引き立ての程よろしくお願いいたします。


……的な。

なんか、寅さんとかがやってそうなやつになってしまう。

「これなら結構得意かも」

などと思って調べたら、この自己紹介は「仁義を切る」というやつで、業界によってはセリフの順番や人や土地の名前を間違えるとボコボコにされるそうだ。順番や名前を間違えたら即死だなんて、危険にもほどがある。

ただ、Wikipediaによると、仁義を切っていた世界も、今は普通に名刺交換するらしい。


もう一つの悩みは、専門分野がないということである。

「不登校だったけど、大学卒業して就職してるでござる」

みたいな話は、もはやもうそんなに珍しいものではない。ラーメン屋くらいよく見かける。私は不登校だったし、メンタル弱いし、意識高い系などと言われたこともあるのだが、就活ではもう本当に苦しい思いをした。

けれど、普通に生きている。

社会に対して叫びたいこともなく、野望もなく、夢もない。しかし、それでも生きている。

「野望もないのに、よく動く」

これが、私の好きな私のキャッチコピーだ。

何かを変えたいわけじゃない。何かを成したいわけじゃない。しかし、それに負い目もない。

なので「あなたは何者なのよ」という問いに「キッチンタイマーと申します。それなりに不幸と言われる状況にありましたが、期待されるほどの悲しみもドラマもなく生きています」

という、分かりやすさや明確さ。一言でズバッと言えることが求められるこの世界で、語りに語って「分かりにくいし面倒くさい」ということだけが伝わる男。それが私、キッチンタイマーです。

そして幸運なことに「分かりにくいし面倒くさい男の文章に付き合える人たち」に囲まれて、今日もひねくれながら生きています。

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