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改名しようか考えた。

ペンネームを変えようとする夢を見た。

私の背後から声が聞こえる。知り合いではない。でも、知らない人でもない。自分の頭の中の声が自我を持って、私に話しかけているかのようだった。

「キッチンタイマーって名前は、いざバズっても目立たないじゃん」

確かにそうだ。

「もっとかっこいい名前にしようよ。かっこよくなくても、目立つ名前」

そうだ。そうだ。

「本のイラスト書いてる人とか、結構未確認物体の名前みたいなペンネーム使ってたりするじゃん、ああいうのどうよ」

「名前か苗字か、わからない文字を並べようよ」

「下の名前は普通にして、苗字は奇抜なのにしたら?」

どれも、否定する気は起こらなかった。ただ、そうだなぁ。そうだそうだ。確かになぁ、と、うなずいた。

目を覚ますと、外はもう明るかった。声も聞こえない。どうやら夢だったらしい。しかし、夢の中でのことなのに、言われた内容を鮮明に覚えている。疲れているのかもしれない。あまり深く眠れなかったときほど、夢の内容はよく覚えていた。普段は、10分もするとなんの夢だったかさえ思い出せなくなるのに、今回の夢に限っては聞こえた声がはっきり記憶に残っている。

名前。私はキッチンタイマーという名前でエッセイを書いている。公募に出すときは本名でエッセイを書くが、賞を取ってもキッチンタイマーのnoteでは紹介していない。なんだか恥ずかしいし、現実の私を知る人がキッチンタイマーとしての活動を知ることはよくあることだが、キッチンタイマーとして知り合った人々が本名の自分にすぐ繋がってしまうのはなんだか怖い気もする。実名で書いた場合は、ちょっと調べればそれまでの活動がすぐわかる。それはそれで便利だし、自分の活動がそのまま文章に乗るので説得力も増すような気がするが、見知らぬ人にこれまでの活動や今勤めている職場まで見つかってしまう。それは困るので、やはり「めちゃくちゃ頑張ってようやくそれらしい人物にたどり着く」というくらいでいたい。だから、本名をここで名乗ることは今はしていない。

しかし、キッチンタイマーと言う名前にも、これはこれで難がある。なにせ、普通名詞だ。私の名前を調べるとまず出てくるのはアマゾンで売られているキッチンタイマーである。「キッチンタイマー エッセイ」と並べて打って初めて私のnoteに到着する。もし誰かから「キッチンタイマーって人の文章が面白い」と口コミを受けてから調べても出てくるのは時間が計れる便利グッズばかりだ。

この状態でもし仮に私がすごくいい文章を書いて、めちゃくちゃ話題になったとしよう。しかし、その後で文章を発見するのはとても大変な作業である。シェアしてくれている人のリンクをクリックできれば問題なくたどり着けるが、そうした手がかりが無ければ、聞きかじった情報だけで私のエッセイにたどり着くのは至難の業である。

なにせ、検索のしやすさという観点から見て、私の名前は探しやすさがゼロである。万が一、恋人と料理を作っているエッセイがめちゃくちゃ人気になったとして、それを調べるなら「キッチンタイマー 料理 エッセイ」みたいな検索ワードランキングになってしまう。そして「『エッセイ』を除いた検索結果を表示しています」などと言われ《おすすめのキッチンタイマー10選》ばかりがヒットすることになるのだ。

夢の言葉たちは、私の中で何度も繰り返された。キッチンタイマーという名前は、初めて知った人が私を探すにはかなり不便だ。

普通名詞と同じ名前など、めちゃくちゃなハンディキャップだ。しかし「嵐」という普通名詞をグループ名として背負って、「嵐といえば彼ら」まで知名度を上げたアイドルもいる。このネットの世の中、「台風」と調べても「地震」と調べてもまず出てくるのは気象庁のページなのに「嵐」と調べた瞬間出てくるのはアイドルグループである。辞書にだっていずれは「嵐」の欄に災害の説明の後「また、アイドルグループの名前」と書かれかねない。もはや言葉の持つ意味を変えたと言っても過言ではないだろう。じゃあ、キッチンタイマーだってアマゾンより上に私が出られる可能性もゼロではないのではないか。そんなふうに意気込んでみても、夢に見るほど名前に不安を抱えているような男が嵐の皆さんを引き合いに出して「私もいけるに違いない」というのは、流石になんとも情けない。

目立たないし、見つけにくい。そんなことは何度も考えたのだが、私は未だにキッチンタイマーという名前である。一応ちゃんと、改名を考えたこともあった。その時のメモ帳には「宮下和樹」と、新しい名前候補が書かれている。名前を「カズキ」にするか「和樹」にするかで悩んだ跡があるが、別にどっちでもいいと思う。そうまで悩んでも、名前を変えずにいるのには、それはそれで理由があるような気がしてきた。多分、私は誰かに見つけてほしいわけではないとか、そういう言い訳じみた理由だ。

エッセイにおいては、キッチンタイマーという名前ではなく「なんか、恋人とゴロゴロしてる人がいて、好きな文章だったんだけど、なんて名前だったかなぁ」みたいな。そんな風に、覚えていてほしい。調べ直しても、多分私は出てこない。もし探すなら、履歴から頑張って探すか、覚えているフレーズを検索してヒットするか祈るくらいだろう。スマホを変えたり、何かの拍子に見た履歴を消してしてしまったらもう出てこないかもしれない。

名前を変えることに不安があるとするのなら、ネーミングセンスに自信がないことである。完全に自分オリジナルで、経験に基づいて生み出したかっこいいと思う名前は、だいたいダサい。でも、調べてつけるにしても古今東西の神様の名前とか天使の名前とか、色の名前とか、ゆかりのあるものの名前になる。しかし、そうした名付け経験を一切してこなかった私は、つけた名前に違和感があるかどうかを全く察知できない。むしろ、別に変でもない名前に違和感を覚え、あまりウケが良くない名前にトキメキを感じてしまうことも多々ある。そもそも、キッチンタイマーという名前がそれなのだ。

何度考えても、どう考えても使いにくいし向いていないのに、この名前に落ち着いてしまう。今のままでいいか、と、せっかく考えた名前をそっちのけにして、このまま書き続けてしまう。こんな名前だから、見つからないのも仕方ない。忘れられるのも、まぁ仕方ない。

ただ、料理もさしてしないのにキッチンタイマーなんて名前の人は、わりと珍しいはずだ。少なくともnoteには、今日まで私しかキッチンタイマーという名前はいない。以前、小説を書いていたサイトにもキッチンタイマーは私しかいなかった。

「サイト内限定で検索すれば特定できる」

紹介されるにあたっては、やはり不便な特性を持つ名前である。しかし、とりあえずこれでやってみると決めたのだから仕方ない。

「目立たないじゃん。チャンスが来たとき、掴みそこねるよ。バズっても、覚えてもらえないよ。損だよ。変えようよ」

夢の中の声は、まだ耳に残っている。

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