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横になっている私から。

「そろそろエッセイ書かないとなぁ」

ゲームをしながら通話していると、友達がそういった。

「書けばいいじゃん」

「書けないよ」

「布団に寝っ転がって、メモ帳開いて文字打ってりゃ書けるでしょ」

「お前はそれで書けるかもしれんが、俺は無理」

その時は「あぁそう」と言ったけれど、内心「そんな事あるか、いいから寝転がって『今は横になっている』から書きはじめりゃ良いだろうが」と思っていた。

エッセイにも書き方や形というものが存在する。絶対的なものではないが、しかし書きやすくなるパターンはある。よくわからなかったらとりあえず「事実→説明→理由」の順で書くと文章は進む。

例えば「横になっている」と書きだせばこんな具合だ。

横になっている。

深夜四時。ニトリで買ったマットレスと布団の隙間に挟まれながらスマートフォンで文字を打つ。

これで説明完了だ。次はなぜ横になっている様子や経緯を話していけばよい。

ポイントは欲張りすぎないことだ。この文章にはすでに話を膨らませられそうなキーワードがいくつかある。

深夜四時

ニトリの布団とマットレス

スマートフォンで文字を打っている。

いつ、どこで、何をしている。という具合に場面が切り取れるが、一つのエッセイではだいたい1つの話題しか相手にすることができない。とりあえず今回は、例なので上から順に一つずつ相手をしてみようと思う。

まずは「深夜四時」から。

横になっている。

深夜四時。ニトリで買ったマットレスと布団の隙間に挟まれながらスマートフォンで文字を打つ。

今日は起きるのが遅かったので、寝るのも遅い。ダラダラYouTubeを見ているうちにこんな時間だ。

四時まで起きている言い訳である。こんなふうにして文章は進む。書きながら何が言いたかったのか探せるし、何も言うことがなくたっていい。

次は「ニトリのマットレスと布団」の相手をしてみようと思う。

横になっている。

深夜四時。ニトリで買ったマットレスと布団の隙間に挟まれながらスマートフォンで文字を打つ。

ニトリにはいくつかのマットレスがあるが、展示された中では高いものを買った。2万円くらいだったと思う。かけ布団は適当に5000円くらいのものを買った。

こちらも、説明ができた。このあとには「寝具にはお金をかける」というポリシーがある話や、そのルーツを話すことになるだろう。「深夜四時」よりは、話題が広がりそうに思える。

続いて「スマートフォンで文字を打っている」で文章をつなげてみる。

横になっている。

深夜四時。ニトリで買ったマットレスと布団の隙間に挟まれながらスマートフォンで文字を打つ。

エッセイを打つのはパソコンよりもスマホの方が楽だ。パソコンは電源を入れて立ち上げる工程があるし、画面が大きいのでちっとも進んだ感じがしない。しかし、スマートフォンなら常時電源がついているし、メモ帳のアプリをタップするのに時間はあまりかからない。なにより、すぐ画面が一杯になるので書いている感じがする

この話も進みそうだ。しかし書いているうちに、この話は以前書いたような気がしてきた。ただ、エッセイは同じことを何度書いてもいいと思っている。恋人の話など、総括すれば「恋人さん大好き」というのを複雑な話にしているだけだ。同じエピソードでも、切り口を変えれば別の話になる。

同じ話も3度すればそれは自分の得意ジャンルである。仮面ライダーを見て「こいつらいつも戦ってんな」と思わないし、野球を見て「まーたボール投げてるのか」とも思わない。慣れとは恐ろしいもので「こいつはこういうやつだから」という合点がいくと、多少強引でも何だか許せてしまう。おそらく、その辺を全面に出していくことが大事である。

一応、前に同じ話をしたなと思ったときは「多分この話はその時触れてないだろう」というエピソードに寄り道することにしている。

さて、布団の話を書いているときが一番楽しかったので、今回はそのへんを掘り下げていくことにする。とりあえず「事実→説明→理由」の順で書くと文章は進むのだ。

横になっている。

深夜四時。ニトリで買ったマットレスと布団の隙間に挟まれながらスマートフォンで文字を打つ。

ニトリにはいくつかのマットレスがあるが、展示された中では高いものを買った。2万円くらいだったと思う。かけ布団は適当に5000円くらいのものを買った。

実家の布団もマットレスなのだが、それも数万円する。そして掛け布団は数千円。とにかく体を預ける方には金をかけ、乗っかる方は適当にしておけと言わんばかりに我が家の布団は上か下かで露骨な格差がある。

なので、ここでグレードを下げて安い布団にすると眠れなくなるのではないかと思い、敷布団にはしっかりお金をかけた。

私の母は利便性を大切にしていた。見た目よりも使えるかどうか。丈夫かどうか、パフォーマンスが出せるかどうかが大事だと考えていたようだ。なので私のカバンはいつもキャンプ用品を作っているメーカーのものだったし、靴もミズノとかスポーツメーカーの靴から順に履かせて『履きやすいものを自分で選びなさい』と言っていた。しかし私は、見た目のかっこよさで靴を選び、案の定靴ずれを作っていた。

丈夫なものを一つ、それにしっかりお金をかけて、壊れるまでは買い換えない。それが母のやり方だった。服もシーズン毎に買うのだが冬と夏だけ買っていた。早い話が寒いときに着る服と暑いときに着る服を売り出されたときに一度だけ適度に買って、それで数年過ごすという生活だ。高校生になるまで、私は春服、秋服というものの存在を知らなかった。今でも春服と秋服の区別はつかない。

こんな具合に、文章は進んでいく。過去を引きずり出しながら、どうして自分が今、妙に高い布団で寝ているのかという理由やこだわりを整理していく。自分の行動の背景、価値観の生まれた理由、それらは普段意識していないものだけれど、エッセイを書いて深く自分の行動や考えを思い出すとその行動が始まったきっかけに行き着くことがある。

そして、私がどうして「ニトリのマットレス」と言う言葉を取り上げたのか。他の布団となにか違うと感じていたのかを自分から聞きただしていく。

お試しで書いていたエッセイもいちいち貼り付けると、読むのに苦労する分量になってきたので、ここからは、前の文章を貼り付けず続きを書いていく。

高校生の時「いつも同じ服だね」と言われた。その時初めて、自分の服を意識したと思う。しかし、私にとっては昨日来ているトレーナーと今日着ているトレーナーは別物だ。トレーナーが三着、ズボンが三着。なにより、不登校から立ち直りかけていた当時学校に週は3日しか行っていなかったので、服はこれで足りていた。のちに、週5日学校に通えるようになった頃、物理的に服の数が足りなくなるというアクシデントがあり、その時初めて恋人に服を選んでもらって買った。
 
そうして、今までやっていた服の選び方は高校生としてはあまり一般的ではないことがわかった。丈夫かどうか、というのはシンプルでわかりやすい軸だが、それを理由に一年間何も買わないというのは、流石に極端な例だったらしい。
 
しかし、丈夫なものにしっかりお金をかけて長く使う。特に、体を預けるものに対してはお金を出し渋らない。
 
なので、物理的に体を預けられる敷布団のほうがしっかりお金をかけられて、私に体を預けてくる掛け布団は粗雑なのである。今やエアコンもあるので、暖かさの確保というところでは多少心もとなくても問題ない。
 
そういえば、靴には平気で2万円くらい出すけれど、手袋はそんなに高いものを買わない。靴下やパンツも適当にセール中のものを買う。
 
体重をかけるものは高く。逆に体に乗っかってくるものは、適当に済ませる。椅子には随分気を使っていたけれど、エプロンはかなり適当だった。
 
そんな母を見ていた私は、一人暮らしをするときも機能優先で選んできた。使うかどうか、役立つかどうか。使うならしっかりお金をかけて、その後数年は買い換えない。
 
そして機能以外は、気にしない。機能としていらないと思えば、そもそも買おうとさえ思わない。
 
お米はパックでチンすればいいと思っていたので、炊飯器を買わなかった時期がある。ダウンジャケットがあれば寒くないという理由で、それ以外のコートを着なかった。今でこそ改めた考えもあるが、この「今はまだ、代わりがあるからそれでいく」という精神は私の中に深く根強く残っている。 
 
歩ける距離にだいたいある。なので、私はまだ自転車を持っていない。
 
掛け布団があって暖かいので、夏用のタオルケットを持っていない。夏はどうしているかというと、冬用の布団をお腹あたりにかけて寝ている。 
 
夏、私の家に来た恋人が「……なんで布団が出ているの?」と私に聞いてきたときに「あ、これダメなやつなんだ」と悟った。恋人用に、夏のタオルケットは買ったが私は私でまだ冬用の布団をお腹のあたりにかけて寝ている。
 
多分今年の夏も、今と変わらぬ姿で私は寝ながらエッセイを書いていることだろう。

こんな感じで、エッセイを書いています。

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