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私が紙になれたなら。

「ねぇ聞いて」

時折、友達からLINEが来る。それは時に、足をくじいた話だったり、職場の上司とのやり取りだったり、少し大きな買い物をした話だったり、地震が来たという話だったりした。内容は様々だが、他愛もないことから真剣な話までことの重大さの振れ幅は大きい。

夜中、私がお風呂から出た頃にMさんから「聞いてよ、今仕事終わったんだ。お腹減った」とメッセージが来ていると私は少し嬉しくなる。

「ごはんごはーん」

連絡だけとりあえず返す。疲れ切っているだろうから、なにか温かいものでも食べてくれるといいのだけれど。Mさんはしばらくしてお気に入りの動画を送ってきた。ご飯を食べたかどうかは定かではない。

また別のときには後輩のYさんから連絡が来る。

「人生で初めてローンを組んだ」

以前から大きな買い物の相談を受けていたので、いつ買うかと思っていたがついに手を付けたらしい。買ったものが私に相談していたものなのかは知らないが、Yさんにとっては大きな決断だったことだろう。

私は一言だけ送る。

「わろす」

そして、それぞれの大きな買い物エピソードを話した。それぞれ違った形ではあるが、自分のキャパシティを超えた取り引きをする緊張感は少なからず分かち合えたように思える。

Yさんは「なんか、すまんな。ありがとう」と言っていたが、私と話しても状況が変わるわけでもないので、まだ時々大きな借金のことを思い出しては不安になっているかもしれない。

大切な友達から「ねぇ聞いて」とメッセージが来るとき、私はちょっと嬉しくなる。

まだ自分の中で結論の出ていない問題や、気持ちの整理が終わっていない話を語る相手として私を選んでくれた。それなら、私はムリに緊張してなにか言うよりも、できるだけ感じたままを伝えればいいのだろう。

逆に私は、そうして人に話すのが苦手だ。

「上司さん聞いてくださいよ」

先日もそんなふうに話をしていて、相談をしている途中で結論が出てしまった。

「答え出ちゃいました」

「良かったやん」

しかし、仕事を止めてまで対応してくれたのに、さしてアドバイスも受けずに結論が出ると、なんだか自分の考えが甘かったような気がしてくる。

「……上司さんの仕事止めちゃってすみません」

「ええよええよ」

「上司さんの仕事に差し障るので、次回からぬいぐるみを持ってきて話しかけてもいいですか?」

この案は「それはそれで仕事に差し障りそう」という理由で却下された。

仕事の話であれば、こうして話すこともできるが、プライベートな相談などは話す相手も選ぶ。なにより、自分の頭の中を整理したいだけなので、話しかける相手さえいてくれればいい。しかし、話すと自己解決してしまうことが多いのでそれはそれで申し訳ない。

自分の頭の中にあるものは、実はまだ自分のものになっていない。それを言葉にしたり、描いて表現して初めて具体的な形を持って私のものになっていくように感じる。おそらくその手段は話すだけでなく、こうして文章を書いたり、文章にならないけれど紙に書いたりすることでもいい。思いついたように話し始めて、勝手に解決するというのは友達の話を聞いているときは、面白いのに自分でやっているとどうにも失礼に感じてしまう。

一人で、負担なく、自分の考えていることを整理する。考える方法を突き詰めていくと、紙に書きなぐるのが私にとっては一番向いているようだと、だんだん分かってきた。

書いて書いて、自分の考えていることをどんどん細かく突き詰めていく。

「ねぇ、聞いて」

固まる前の、とってもデリケートな部分を見せてくれる友だち。切り返し方によっては、いとも簡単に傷つき、後悔するかもしれない。でも、彼らは私に打ち明けてくれる。

同じように私は、紙に向かって一心不乱に書きなぐる。具体的な言葉にしていくうち、あぁ、そんな風に考えていたのか、と、自分のことながら驚く瞬間を何度も経て、気持ちの落ち着くところにたどり着く。

私が話を聞いたあと、友達もそんな気持ちになってほしいと思う。自分の気持ちに気がついて「ああそうか」と、ストンと落ち着くところにたどり着くことができたなら、私は嬉しい。

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