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あなたと感謝と嫌悪と私

昔親しかった人との付き合い方がわからない。

例えば小学校以来ずっと会っていない友達とか、もしくは元彼女とか。すごく仲良く笑いあったからこそ、何かのきっかけで心が遠く離れてしまったあとどうすればいいのかわからずにいる。すっぱり割り切れる人もいるのかもしれないけれど、その人はどんな風に元仲良しさんと話しているのだろうか。

どんな顔、どんな声で接すればいいのかを、誰も教えてくれない。いざやってみると表面上は元通りに見えるけれど、なにか違う。新たな関係として進展したとも言えるし、深い仲から浅い関係に戻ったとも言える。

私の場合、そんな関係に困っている元仲良しさんは、家族だ。

まぁまぁ仲が良かったはずなのだが、今はどう接していいかわからない。楽しい思い出も、嬉しい思い出もあるが、今はそれぞれの動向に全く興味がない。好きというよりはむしろ、嫌いである。

昔、父はいつも「俺は、いつでも味方だからな」と私に声をかけてくれた。覚えている限り、何度も何度も、声をかけてくれた。それは、私が本当に苦しかった時を除いて、ずっとだ。

学校へ行けなくなり、本当に苦しかったとき、父は私の味方でいてくれることはなかった。そして高校へ進学し、大学へ行くと父はまた「いつでも味方だからな」と言うようになった。

あぁ、私のお父さんは私が調子がいいときだけ応援してくれて、本当にしんどくて縋り付きたいときには決して手を貸してくれないのだと、このとき思った。

しかし、不登校の私を救ったのもまた父であった。なにせ、父の経済力はシャレにならない。失われた20年など無視して普通に努力して、ちゃんと出世した父は、私が言うのもなんだが、すっげぇお金持ちである。

私が高校生になる頃には私立の高校に行きたいと言えば「……本当は公立がいいんだがな」と渋い顔をしながらも行かせてくれた。そして、その高校で私は不登校を脱却することとなる。父が居なければ、私は今も引きこもっていたかもしれない。

という点を差し引いても嫌いだ。

私を助けてくれたのも、死にそうなとき味方でいてくれたのも、父ではなかった。

「俺は味方だからな」

父はとても規範的で、優秀で賢い父親である。しかし、規範的でない私は、その枠の中にいない私は息子であることができない。みんなで夜ご飯を囲んで団らんし、誕生日にはケーキを焼いて食べ、お祝いごとがあるたびに家族で写真を撮る。おそらくそれが、父の望んだ家族であった。

そして私は、不登校という形で、そのレールから外れたのである。しかし、私はそんな家族になりたいわけではなかった。ただ、いつも味方がいると思える場所が、欲しかっただけだ。

「味方でいるよ」

「好きだよ」

「応援してるよ」

家族以外の人からも、たくさん声をかけられるようになった。しかし、どの言葉も私の心に届くまでに注釈がつく。

「(今は)味方でいるよ」

「(今のままなら)好きだよ」

「(元気なうちは)応援してるよ」

本心から、私を応援してくれた人もいたかもしれない。しかし、いつもその声がかけられるのは私の調子が良いときか、逆に誰かに依存しそうなときだ。誰かの心を満たさないと誰も私を満たしてはくれない。

だから、弱みを見せるときでさえ、もうじき解決しそうな部分を見せた。そして終わったら「ありがとう、あなたのおかげだ」と言うのである。しかし、そんなことを繰り返していると、本当にふとした時に救われた際の感謝の気持ちの伝え方が全くわからなくなった。ぎこちなく伝えると、演技で感謝を伝えたときよりも全然響いていないのがわかる。

伝えたいことは伝わらない。本当に届けたいものは全然届かないし、本当に欲しかったものはそう上手くは手に入らないようになっているらしい。

死ぬほど辛かった時、父や私の家族は寄り添ってはくれなかった。この傷は、何度も何度も、今後思い返すことになるだろう。

「帰ってこいよ」と言われるたびに、帰る場所ではないのだと、吐き捨てたくもなるのだろう。

しかし父や私の家族が居なければ私はここまで来られなかっただろうことは明白である。ただ、彼らのなりたい家族に私はなることができない。一度道を外れた私は家族の一員を演じることができずにいる。それどころか、不快である。

別にさして興味がない話題を振られる晩ごはんが嫌いだ。

ケーキを前にして笑顔で喜ばなくてはいけない誕生日が嫌いだ。

毎回同じ構図の家族写真が嫌いだ。

幸せな家族は、誰かが不幸なときの支え方を知らない。

だから、私の家族にはどうか幸せなままで居てほしいと思う。辛くて苦しくて仕方がないとき、誰も支えてくれないと教えてくれた人たち。心に寄り添わなくても、お金があれば結構なんとかなると教えてくれた人たち。かつて「おはよう」と挨拶をして「おはよう」と言い合えた家族に、感謝を届けながらも、できる限り嫌悪感を悟られない関係でいたい。それが、私の家族。

独り立ちして関西に旅立った私が帰省すると、父は最寄り駅で迎えてくれる。

「おかえり」

「……ただいま」

「元気にしてるか」

「ぼちぼちだよ。おかげさまで」

「そうか」

お父さん、今の僕は、素敵な息子に見えますか。

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