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シンプルな仕事。

文章を推敲している。

事の発端は、友達の文章を推敲しているときの話をエッセイに書いたことだった。エッセイのコメント欄に、推敲を受けてみたいというコメントがついたため、調子に乗った私は推敲体験会を行うことにした。

これで今月に入って推敲は三回目だ。推敲は何度もしているが、私の仕事はシンプルで「著者さんが届けたいメッセージを、伝わる文章にするお手伝い」である。

まずは、著者の方が届けたいメッセージをどうにかして発掘することを目指す。ときにインタビューをしたり、文章にコメントを入れたりして、質問をするのだ。その時に、自分自身の文章に対する好みや、文章の中で大切にしていることが表に出てきてしまう。例えば、私が良い文章の指針としているのは「素直で、読みやすい文章」である。これは、エッセイを書いているという背景と、以前アルバイトをしていた出版社でお世話になっていた社長の言葉による影響が大きい。

エッセイを書いていて、何が正解かわからなくなったとき、ふと「良い文章って、どんなものですか」と質問をしてみたことがある。そのとき社長は、私の目を柔らかい笑顔で真っ直ぐに見た。

「文章に優劣はつけられない。だから、文章を比較して、良い悪いというのは決められない。でも、私にとっての良い文章は自分の心に対して素直な言葉で書かれた文章だと思う」

私はその言葉を今でも大切にしている。

自分の感じたこととか、見たこととかを、そのまま文章に直す。カッコつけたり、オブラートに包むこともあるけれど、その時は手を止めて、一番最初に感じた気持ちは大切にしながら文章を書いた。そして、トゲトゲした自分の感情が伝わるように思いやりで包む。伝えたい人に伝わる言葉を、考えて選んでいく。

他の人の文章を推敲するときにも「素直さ」という指標が軸として自分の中に備わっているのを感じた。しかし、素直な文章かどうかは、読むだけではわからない。文章を読むだけで、「あっ! 素直!」とか「これ素直じゃない!」などと判別できる能力は私には備わっていないようだ。

文章が気持ちに対してどれくらい素直に書かれているか、というのは主観的な指標だ。私の場合は書いている時に「今これちょっと話を盛ったな」とか考えながら直している。しかし、人の文章を読む場合は、その気持ちの揺らぎをキャッチするのは難しい。なので伝えたいことと、その土台となる情報や体験がどのくらいしっかりしているかを確認する。表現が具体的であるか、理論は飛躍していないか、因果関係は繋がっているか、時系列は正しいか。

変だなと思うと、私は「えっ、それどういうことですか」「本当にそうなんですか」などと聞きに行くので、著者さんは、すげぇめんどくさい奴に絡まれたような状態になる。内容に突っ込んでいる時は、もう本当に嫌われても仕方ないと思う。

しかし、嫌われるのは仕方ねぇ、と開き直ることもできず、コメントを書きながら「なぁ!? このコメント読んだらどんな気持ちになるとおもう!? こんな言い方でいいわけ!?」などと思って書いては消し、書いては消す。間違っても「書いている人のため」などと思いながらコメントを打ち込まないように気をつける。そんな正義感を持ってしまったら、軽率なコメントや傷つける可能性を持った言葉を差し向けることを厭わなくなってしまうだろう。大切なのは、手を加えたほうが良さそうなところに、全力で質問することである。

自分の感じた興味と疑問の中から、伝えるべきものを絞って、調べられるところは自分で調べて、分からないものを伝えていく。

でも、怖さは常にある。どんなに気を配っても文章や言葉は、人を傷つけることがある。コメントをしたり、質問をするという行為そのものが人を傷つけることもある。自信を失わせてしまうこともあるかもしれない。それでも、伝えたいことをはっきり伝えるために、「ここまでは届いてます。これであってますか」という確認作業を何度も繰り返すことになるのだろう。

「ここまでは届いてます」

「こんなふうに届いてます」

「この文章で伝えたいことは、なんですか」

できるだけ、透明な言葉で質問をしていきたい。私の仕事はシンプルだ。届けたいメッセージが、届く形になるように、質問をしてときに文章を直して提案する。この部分は、自分の仕事だ。

しかし、伝えたいメッセージがどんなものであるかは、著者さんを通じてしか私は知り得ない。そして、私はどうしてもその情報がほしい。なので「自分の伝えたいメッセージと、生身で向き合ってください」と、直球であれ間接的であれ要求している。生身の自分の伝えたいメッセージを知ると、めちゃくちゃ傷つくことがある。見なきゃよかったとか、知らなきゃよかったと思うこともある。そしてそこは、著者さんしかたどり着けない境地だ。私も、行けるならそこまでたどり着きたいけれど、せめて、その道に続く獣道の手がかりくらいは、なんとか頑張って見つけたい。

そんな、傲慢な気持ちで、文章と向き合っている。

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