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届け、届け、届け。

活字中毒のMさんという友達がいる。

Mさんはいつも何かしら本をカバンに入れている。漫画でも小説でも関係ない。いつも本がMさんの近くにあった。とにかく文章をたくさん読んでいるということだけは知っていたのだが、そのMさんが度々私のエッセイを読んでくれているのだと聞いたのはほんの数日前のことだった。

「なんだかんだ、リアルタイムで追ってるよ」

Mさんは言った。でも、私には一切、読んだ形跡は届かない。教えてくれたのはその日が初めてだった。

「結構最初のほうから、何度か読み返してる」

なんだそれ、絶対めんどくせぇじゃん。

「私はお前の文章、めっちゃ好きだからな」

ははは。と私は笑った。声が乾いてるなぁと、自分の笑い声を聞いて思った。

普段活字に漬けられているMさんから、文章のことを褒められたのは本当に嬉しかったけれど、私のことを褒められているという実感がいまひとつ湧かなかった。

好き、と伝えるのは本当に難しい。

私はいろいろな評価にさらされたり、コメントをもらったりしているのだが、私に対して肯定的なコメントが全然実感として手元に入ってこない。ネガティブな評価をもらったときの実感は、私が必死に張っているバリアをすんなり乗り越えて、心臓に思いきり突き刺さる。漫画でも、コラムでも、自分の良くない部分が投影されたような描写や文章を見ると、思いきり心臓と肺の間くらいの所に衝撃が走る。

不平等だ。と思う。Mさんからの言葉を聞いて嬉しくなる一方で、以前Twitterで読んだ一連のツイートを思い出した。

私はMさんから「文章がめっちゃ好きだ」と言ってもらった。それなのに、このツイートに出てくる作家さんのように、ネガティブな評価ばかりしてくる野良犬に私が噛まれたとして、Mさんの言葉がワクチンのように発動して心を安らかにしてくれるとはとても思えなかった。逆もまたしかり、例えばもしもMさんが、どこかで心の腐った野良犬に噛まれるようなことがあった時、私の言葉の何かがMさんを救うとはとても思えない。ネガティブな評価というのは、自分がしっかり張っているはずのバリアを通り抜けて強烈な一撃を心に突き刺してくる。そして、その時に、今まで受けた嬉しい言葉は、思い浮かんでこないどころか、ほとんどが消し飛んでしまう。

何か作品を完成させた後の「よかったよ」という言葉は、どんなにめんどくさい工程がそこにあっても、そのすべてがチャラになる。でも、それ以上に「ダメだな」という言葉が、今までの「よかったよ」をチャラにしてしまうことがある。これが本当にどうしようもなくて、今まで私の作品を見たすべての人が心の裏に隠し持っていた本音なのではないかと錯覚してしまうほどに、強力な力を持っている。小さな小さな歪みが生まれて、誰かから声をかけられるたびに、その内容がどうあれゆっくりとその歪みが広がっていく。今まで応援してくれた人の顔と「ダメだな」という言葉が重なる。

好きだ。という気持ちを伝えるのは、本当に難しい。なのに、嫌いだ、とか、もういらない、という気持ちは、過剰なまでに伝わってしまう。

好き、という言葉を聞いたときの、何とも言えない期待感。その言葉を鵜呑みにしたら、相手にすっかり気を許して甘えて寄りかかってしまいそうになる不安。そして、その期待に自我を見失わないようにかえってガードを固くするような気持ち。

嫌い、と言われたときの、脱力感。もうすでに知っていることを、何度も何度も言われたような虚無感。自分がずっと目をそらしていたものを、突然目の前に突き付けられて、もう戦意を喪失してしまうような気持ち。

好きだと、伝えるのは難しい。あなたを愛していると、伝えるのが難しい。

恋人がいるから。

男同士なんて気持ちが悪くて。

ちゃんと行動で伝えればいい。

そんな言い訳を重ねて「だから、あなたを好きだとは言わない」と、言葉を結ぶ。私自身が、その壁を越えなくてはいけないのに、私は臆病だった。私はむしろ野良犬に後れを取ってしまう読者だ。誰かが傷ついたとき、私は必ずしもそばにいられるわけではない。傷ついたとき、悲しいとき、寄り添っていたいと思うのに、私のしていることはむしろ正反対である。

傷つきたくない、悲しい思いをしたくない、誰かに寄り添っていてほしい。

「好きだよ」と言われたい。誰よりも、私が、私を「好きだ」と言わないと、この苦しみから逃れられないことはわかっているのに。どうしても、私は私を好きになれないでいる。

いつか、私の大切な人が深く傷ついたとき、悲しんだとき、寄り添ってほしいとき、言葉は、何かの役に立たないだろうか。私の方がずっとあなたを大切に思っているはずなのに、あなたを包むバリアが私の言葉をはじき返す。そして、そのバリアを潜り抜けるのが、突然現れていたずらのように人を傷つけて去っていく人たちのものだとしたら、悲しくて悔しくて仕方がない。

同じ言葉のはずなのに、どうして私の言葉は届かないのだろう。

同じ言葉のはずなのに、どうしてMさんの言葉に乾いた笑いでしか返せないのだろう。嬉しいはずなのに、その感情を信じてあげられないのだろう。

一番届けたい人の心に届くのは、私以外の誰かの言葉だ。

「お前の文章、めっちゃ好き」

その言葉を私はまだ信じられず、自分の乾いた笑い声も、聞こえないふりをしている。

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