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誰かの素朴なルポタージュ

以前、出版社で働いていたとき、作家さんや書店さんと一緒に本を紹介するゲームを企画として行ったことがある。

作家さんにそれぞれ自著を持ってきていただき、それをさらに5分間という短い時間で紹介してもらう試みだった。作家さん自身も、自分で自分の本を話すというのは滅多にない体験だということだったので「こんな具合で……」と実際に私がデモンストレーションをして見せると「ああ、それならできますよ」といってサラッとやってのけてしまった。

作家さんはもしかしたら元来負けず嫌い基質なのかもしれないと思うほど、私が目の前でやってみせたよりもずっとうまく紹介を始めたので本当に驚いた。しかも「読みたくなった本に投票してください」という多数決では普通に負けた。

その紹介企画では、作家さんがどんな風に本と向き合っているのか、どんな思いを込めて本を書いたのかが、5分という短い時間に詰め込まれていた。その中でも、Hさんという作家さんの出だしは特に印象的だった。

「本を読んで人生が変わった。本は良いものだ。そんなふうに言われることがあります。でも、仮に一年間に100冊の本を読んだとして、人生が100回も変わるのでしょうか? そうではない気がしますよね。そんなに変わったら大変です。でも、もう一つ疑問があります。私の書いた本は、どうなのか」

Hさんは、口をつぐんだ。時間として、2秒くらいだったと思う。

「まぁ、どちらかというと変えられない方の本なんですけども」

と言って、Hさんは話を続けた。でも、私にはHさんが再び口を開くまでの時間が果てしない長さに思えた。今でも思い返すと、その言葉の重みに足がすくむ。

自分の作ったものにどんな価値があるか。自分の生み出したものの、どこに意味が生まれるのか。Hさんは答えのない世界でも、更に前に進まなくてはいけない世界に生きているのだと思った。

本の価値、文章の価値。もしくは、漫画も含めた物語の価値は何なのだろうか。いい本とは一体なんなのだろう。

Hさんの始めたスピーチは「人生を変えた本だけが、果たしていい本なのか、読む価値がある本なのか」という疑問を私の中に生んだ。Hさんはそれに加えて「自分の本の価値とはなにか」をずっと考え、今も考えているのだろうと思った。

「どちらかというと、変えられない方の本」と言いながらも、それでもHさんは嬉しそうに本の内容や、どんなことを書きたかったかを話していた。

人生を変えられない本にも価値があるんだ。語られる本は、泣ける本や、目からウロコが落ちる本や、深く共感をする本だ。でも、それだけではないのではないか。文章や漫画や、物語の価値は人生を変えたかどうかで決まるのではないのではないか。感情を揺さぶるかどうかだけでは、ないのではないか。

関西に引っ越す際、スーツケースにリュックを背負って飛行機に乗るだけで、引っ越し業者の手を借りずに引っ越しをすることにした。スーツケースはあまり容量がないのだが、いくらかの本を詰めて持っていくことになった。数にして、5冊。

本棚をじっくり眺めて、どの本を持っていくか迷いながら数冊本を選んだ。自分に寄り添ってくれた本。自分の指針になった言葉が書いてある見直したい本。いつまでも変わらないままでいる自分を許してくれる本など。ぴったり五冊を持って飛行機に乗った。

ところが、そうして持っていった本は棚においたまま、まだ開いていない。間違えたのか、と思った。ここに並んだ本は、私が読み返したくなる本ではなかったのか、と。

近くの書店で新しい本を買うと、スラスラ読み進められた。わざわざ持ってきた本は、読もうとするとなかなかページをが進まない。その結果、本棚に置きっぱなしになっているのだが、新しく手にした本は平気で読んでいる。現金なもので、いつでも一番読みたいのは今日買った本なのだ。

では昔買って読み終えてしまうと、もう価値はないのか。そんな事を考えて、本の好きなところをあげては、では、それがなかったら。と、考える。

本の価値だと思うものを一つずつ取り払っているようだと思った。人生を変えた本でもない、読み返したくなる本でもない、それなのに、どうでもいいと言って忘れ去ることのできる本ではない。本棚に並んでいる本は、なぜそこにあるのか私も解らずにいる。

ただ、文章が本になる過程の、思考を言葉にする工程そのものには、価値があるのではないかと密かに思っている。もし仮に、私の本棚に並ぶ本全てに、もう一度読む価値を私が感じていないとしても、なぜその本を持ってきたのかを語る価値はあると思うのだ。

そして何より、本棚に並ぶ本自体も、私と同じように何かについて、書く価値があると思って取り組んだ人の足跡に過ぎないのではないかと思う。

なぜ、書くのか。なぜ、読むのか。本の価値は、それを伝えるところにあるのではないだろうか。

トリビアの泉というくだらないTV番組や、You Tuberのみなさんに浸透した精神「実際にやってみた」。そんな誰かの素朴なルポタージュが形を変えて私の手元に残っているような気分になる。

本の価値の一つは、誰かが新たな作品を生み出すきっかけを作ることだと思う。こうして、エッセイを書くことで、私の触れた作品の一つ一つにほんの少しだけ価値が上乗せされているのかもしれない。

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