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そのうち出てくるので大丈夫。

いつも使っているノートのページが尽きた。

A5で100ページのノートに、日記や日々の活動を書き残している。よく持ち歩き、気になったことやアイデア、作業手順やその振り返りなど、思いついたことや見つけたことはできるだけそこに書くようにしていた。そして、ノートには終わりがくる。早ければ半月から1ヶ月で一冊のノートを使い切る、遅いときでも3ヶ月。半年持てばそれはもうほとんどメモを書かなかったと言っていい。

ノートが尽きると、新しいノートをかばんに入れる。そしてまたメモをとるのだが、困るのは昔のメモを見たいときだ。新しいノートに変えると、それ以前のノートを見ることができない。だから、しばらくは古いノートも一緒に持ち歩く。しかし、ずっとそうしているわけにもいかないので、古いノートは折を見て家に置く決断をすることになる。

メモに書いていることは、あくまで書いているだけであって覚えているわけではない。記憶の片隅に残ってはいるが、正確な話をしたいときにはやはり参照したいものだ。いつどこで、何の話をしたのかをメモしても、そのメモ書きをどこかへやってしまっては意味がない。私はノートにたくさん書くけれど、そのほとんどは忘れられていってしまう。

整理しよう。とは思うのだ。

ゲームの話、見ようと思っている映画の話、作業の手順、もう捨てていいメモ、悔しかったこと、嬉しかったこと、考え事をするために書いた文章。終わったものと、終わっていないもの、資料と雑記、見返したいものと、今はさして価値のないもの、それらすべてがノートの中に混在している。それはなんとかしなくてはいけないと思うのだが、今までうまく行った試しがない。整理する方法の本を読んで、試してもそれが続かない。整理というのは一度すればいいのではなく、整理された状態を維持することが大切である。

どこにしまうかを決めることより、強い意志を持って「決めた場所にしまう」ということを守らなくてはいけない。私は、決めることより決まりを守ることが苦手なのである。

部屋の中で物をなくしたのは一度や二度ではない。特に鍵。部屋の鍵は、出かけるときはいつもズボンのポケットに入れる。そして、出かけるときに鍵を閉めてポケットに入れたあとは、再び鍵を開けるまでは絶対にそこから出さない。このルールはなんとか守れている。というより、鍵に余計なものをつけていないので本当に、自宅の鍵を開けるとき以外に出す理由がない。

ところが、鍵を開けたあとが問題である。部屋に入り、鍵を置く。置いた。確かに置いた。しかし、どこにおいたのか記憶がない。そして朝出かけるときにあたふたする。

最初は、押しピンを壁にさしてそこに引っ掛けることにしていた。しかし、しばらくするとテーブルの上に置くようになる。これはイカンと、鍵と財布をまとめて入れるボックスを買ってきた。

月日は流れ、今私の財布は机の下に転がっている。鍵は机の上だ。しまう場所はある。それなのに、しまい続けることができない。帰ってから、鍵と財布をボックスに入れる。動作としてはただそれだけなのに、まっっったくできない。

結局机周辺に置いてしまうので、ボックスの方を移動させた。普段鍵を置いてしまうところに、ボックスの方を置く。私の癖の方を定位置にしてしまうほうが手っ取り早く思えた。しかし、今度はそのボックスの中に何故か薬とか、髭剃りとか、ゲームのコントローラーが入っている。そして、財布はコントローラーの上に乗り、鍵はコントローラーの下に紛れ込んだ。鍵を取るためにひげ剃りとコントローラーをどかさなくてはいけない。

あっ、外れてたシャツのボタン。

他にも病院でもらった錠剤が、いくつか空いている状態で見つかった。あとペン。それから文庫本。

鍵と財布ボックスは「手に持ってたけどやり場のなくなったものをとりあえず放り込んでおけボックス」になった。ゴミ箱に捨てるほどではないが、今はもう使わないし持っているのもめんどくさい。そんなものが一通り放り込まれ、その間を鍵が落ちていく。だから探すのがめんどくさい。小さな箱の中さえ整理できないのに、部屋はもっと大変だ。

毎月、本が増えていくのだが、本棚には限りがあるのでもう床においている。実家から送った本はまだダンボールの中に入れたままだ。そこから出して、寝転がりながら読み、枕元に置く。今私の枕元には10冊以上の本が積まれている。

汚いけれど、どこに何があるかわかる。といううちはまだいい。私の場合はもうどこに何があるかわからない。そういえば、メガネがどこかに行った。

候補は3つある。枕元。テーブルの上。脱衣場。枕元なら、楽勝だ。今書いているスマホから手を離して、ちょっと枕の周りを探ればいい。テーブルの上や、脱衣場は何が落ちているかわからない床を、眼鏡なしの状態で歩くというミッションさえクリアすれば大丈夫だ。

しかし問題は、どこにもなかった場合である。踏んでしまうかもしれない。そもそも、メガネをかけていないのだから、より一層見つかりにくいし、最後にメガネを外したのは、寝る前に枕元に本をおいたわけでもなく、本を読む前に外してテーブルの上に置いたわけでもなく、ましてや、風呂に入る前にメガネを取ったわけでもない。じゃあ、どこ。眼鏡がないと仕事ができない。今日一日、全く何をしているかわからないまま、勘で仕事をすることになるのだろうか。確実にどえらい失敗をすることになるだろう。

鍵もそんな具合でどこかに行く。テーブルの上、昨日履いていたズボンのポケット、枕元。ソファの裏。机の下。

溜まったノートや資料だって、一度だけなら整理ができる。しかし、それを維持し続けるのは至難の業だ。今日までの経験を振り返っても、全くできる気がしない。

小学一年生から今日まで、机の中身はぐっしゃぐしゃだ。

「〇〇君の机、汚い」

そう言われたことに傷つき、なんとかしようと思ったが、結果なんともならなかった。常に空っぽにしておくとか、決まったものをだけ入れるとか、そういうルールをなぜだかちゃんと守り続けられない。

脱いだ服は決まった袋に入れる、服はハンガーにかける。そしていい加減、ノートの中身もちゃんと仕分けて見やすい状態にする。

こんなに大切さがわかっているのに、時間をかけて取り組むのはあまりにも億劫だ。なんとかうまくいったとしても、どうせまた一週間もしないうちにもとに戻るんでしょう?

めんどくさいなぁ、とメモ帳に書く。スマホのメモ帳だ。あぁ、こんなところに書くとまたメモを探す手間が増える。紙に書いたか、スマホに書いたか二度調べなくてはいけない。

メモしてまとめた紙の束。将来役立つ形にまとめておきたいのは山々だが、将来の私が今日決めたルールを守ってくれない結果がひどい荒れ方の部屋を形作っている。

恋人が部屋に来たら、その時また片付けることにしよう。メモ帳は、図書館など、場所を変えて改めて仕分けよう。

今日のところは、おやすみなさい。

あれ、スマホの充電器、どこだっけ。

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