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今もうすでに、おでかけしている。

初めてお小遣いを貰ったのは高校生になったときだった。

「高校生になったら色々あるでしょう」

そうして、毎月2000円のお小遣いをもらうこととなった。額としては少ないが、友達と出かけるときはまた別で請求するタイプのお小遣い制度だったので、いわゆる交際費を除いた自分のためだけに使うお金が毎月2000円追加されたわけである。

母は「足りなかったら言いなさい」と言った。お小遣いを受け取る側としては理想の形だと思う。学校で必要な文具や、友達と遊びに行くカラオケ代や旅行の代金は別会計として処理された上での自分用お小遣い。

このお小遣い制度が設立された理由の一つは、私が学校に行っていなかったことである。中学生の頃は授業にほとんど顔を出さない立派な不登校だった。外に出ないし友達も多くはない。中学生以前の友達は殆どゼロだ。

私は高校から学校に行けるようになったクチであるが、行けるようになったというのも「校門を潜り、なんとか授業を受けられるようになった」という程度である。高校では友達に恵まれ、授業の途中でガラッと扉を開けても「お、早いじゃん」などと言われながら席につくという地位を獲得していた私であるが、体力不足には敵わない。

登校して授業を受けたあとでカラオケに行くというのは、フルマラソンを走ったあとで1000メートル泳ぐくらいの過酷さを極めていた。そもそも学校へ行く頻度も良くて週三回程度。ひどいときは二週間ぶっ続けで休むこともある。そしてたまに学校に顔を出せば、そこは文化祭準備の真っ最中。クラスの半分が不登校に片足突っ込んだところからなんとか高校は行こうと決めてきたようなものなので、文化祭の時期の人手は貴重である。

「よく来た! さぁ、お前も折り紙で輪っかを無限に作るんだ! こいつで窓を飾る!」

隣のクラスに至っては6人しか出席しておらず、無表情でどこのクラスよりも早く飾り付けを作っていた。

私も文化祭の段取りを聞きながら折り紙を切って折って貼る。そして、一日通して輪っかを作った翌日は普通に疲れて寝込んでいた。こんな調子ではカラオケや動物園どころではない。

そもそも外に出ない人間には、金を使うタイミングがないのである。せっかく両親から、旅行フリーパスのようなお小遣い体制を準備されながらも「そもそも使わないし、外に出る体力がない」という宝の持ち腐れ状態であった。

しかしそんな私にも恋人ができた。少しずつ学校に通う体力がついてきた私は、3年生を送る会の実行委員になりその時同じチームになった無駄に男気溢れた女の子から告白された。わけがわからないまま付き合い始めた私達は、恋人とは何をするものかと考えながら手探りで距離感を探っていた。

「どこか出かけようよ」と、恋人が言う。

「そうだなぁ」

しかし、ここは私の気持ちになって考えてほしい。3年間家に居続けた人間にとっては、学校に来た時点ですでに「お出かけ」状態である。引きこもり続けて落ちるのは学力だけではない。体力がバリバリ削られていくのだ。起きて、着替えて、駅まで歩き、電車に乗る。一大イベントである。例えるなら毎日がちょっとした日帰り旅行だ。一日体力をしっかり使って翌日は寝込む。それを繰り返しているのが私である。

「行けたら行くわ」

というのが、私のクラスではよく聞かれたがこれは、本当に来るやつである。自信がないだけで行く気には満ちているのだ。ただ、朝起きられる保証がない。だから、どこか行こうよと言われたら「この後どこか行こうよ」という意味だと思ってしまっていた。

だってそうでしょう。私はもう登校というメインイベントを今こなしているわけですよ。ディズニーランドについた瞬間に「この後どこいく?」と言われてもアトラクションの話だと思うではないか。

今いる場所から行ける範囲、かつ行ける時間内でどこか行こうよ、ということだと思うのは当然の摂理である。だから私は「あぁ、これは下校するときの話だな」などと呑気なことを考えて「じゃあ帰りは……」という明日以降の話を全くしない彼氏になっていた。

恋人が金曜日の放課後に「明日なんだけどさ」と話を振ってきてようやく「あぁ、明日ね」となる。そういう生活をしていた。

でも言いたい。明日学校に来られるかどうか自信のない男が、週末のデートなどという果てしなく遠い予定まで頭が回る訳がないではないか。私にとって、恋人と会えることが確定しているのは、学校に来ていて、しかも目の前で話している「今日」だけなのである。

そういうわけで恋人と行くのは学校帰りの図書館とか、駅の近くにある公園とか、学校の裏手にあるホームセンターだった。

「お散歩に行こう!」

二日に一度しか学校に来ない私に対して、恋人はいつも下校する私を捕まえてくれた。だからたくさん出かけたけれど高校時代、恋人と出かけたのは主に隣駅までくらいである。

ときに水族館に行くこともあったが、3年で一回くらいしかなかったように思う。しかし、水族館に出かけるというのは不登校だった頃からは想像ができないほどの進歩だった。両親はとても喜んで、それならどんどん出かけなさいと、お小遣いを4000円まで増やしてくれた。

しかし私は夜の9時には寝ていた。午後5時に学校が終わり、7時くらいまで入り浸って8時に家に帰り、ご飯を食べて9時に寝る。そんな高校生だった。

それから徐々に、出かけるようになりお金も使うようになっていく。カラオケに行くようになり、年に一回くらいだが水族館や動物園にも行くようになった。

延々家に引きこもっていたときに比べれば、ずいぶん遠くに行くようになったものである。しかし、未だ自発的に出かけることはない。

「行こう」と言われてはじめて「じゃあ行くか」となるのである。

初めてもらった2000円を持て余した私は、今月も「交通費」として用意した3000円を持て余している。職場まで徒歩、出かけても隣駅。旅行にいくにしても、一人だろうが二人だろうが六人だろうが気が進まない。

「さぁ外に行け! たくさん出かけておいで!」

高校生になり、家から出るようになった私を両親は喜んで送り出してくれた。しかし、私が行き着いたのは勝手に家を借りて勝手に住み、そしてもうそこから出るのが稀という引きこもる場所を変えただけのアパートである。

「ねぇ、どこ行こうか?」

新幹線で関東からやってくる恋人が私に聞く。私は、もうすでに関西に出てきているので今は自宅に居ながらすでに外出している気分である。

「寝る」

それは私にとっては、日曜の昼間に大きな公園で昼寝をするのと同義なのだ。私は恋人の手を引いて、掛け布団を持ち上げる。

「んー、仕方ないなぁ」

恋人が布団に包まれる。水族館は明日行くから、今日はたくさん寝させてほしい。

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