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されど、容易く朝日は差して

恋人と眠るときは、うまく寝付けない。

隣で寝息を立てている恋人の存在を感じながら目を閉じる。普段一人のときは、寝転がりながら文章を書いたり、遅くまで起きていたりするけれど、恋人が隣にいるときはそうもいかない。時々寝てみて思うのだが、人の隣で寝ると眠りが浅くなる気がする。小さい頃は父か母の横でないと寝付けなかったのに、今では人が近くにいるときにはうまく眠れなくなってしまった。

恋人がそこにいる。そして私がここにいる。私は私。そしてふと、私が消えてしまっても彼女の人生は続いていくのだと実感する。温かな体を抱きしめると、骨ばっている自分の体よりも柔らかい。私が死んでしまったあとも、恋人の人生は続く。恋人が死んでしまっても私の人生は続いていく。私からは明確に切り離されて、別の時間を生きる生き物がそこに横たわっていた。そして私は私として、ここにいる。恋人をずっと見ていることができない、別の生き物としての私だ。恋人の人生をこれから先まで見られるわけではなくて、私の意思とは関係なしにいつか恋人のことを見られなくなる。入れ物のようは体の中に私の意識が詰め込まれている。    

私がいなくなったあとの恋人を見られないのは、すごく残念だ。いつか私もいなくなって、今見ている景色も見られなくなって、見られないということも分からなくなって、無へと消えていく。私はどうして私に生まれたんだろう、どうして、恋人と同じ人生を最後まで歩めないのだろう。できれば幽霊にでもなって、私のいない世界を旅してみたい。

そんなことを考えているうちに、眠れなくなってしまった。体温や、寝息、今触れて、感じているものの全ては、たまたま今私の近くにあるだけでいずれ消え去ってしまう。どんなに「今を大切にしたい」と願っても、そこから「消えゆく未来」を取り除くことができない。永遠にこの時間が続くと、勘違いや思い込みでもいいから、夢中になれたらいいのにと思う。かといって、いずれ来る別れの準備さえできていない中途半端な私だ。

今が幸せなのかはわからない。いつか未来「幸せな時間は?」と聞かれたとき、恋人と一緒にいる時間をあげられるのかもわからない。どちらかというと、一人でいる方が気楽だ。特段大きな困りごとはないし、疲れてもいない。ただ、私が私であることが不便だなと時々思う。ずっと隣りにいてあげられないこと、いつかどちらかが先にいなくなること。どのような形であれ、ただそれだけは決まっている。

どちらかが取り残された世界が、いずれやってくる恐怖の中で感じられる幸せがあるとするのなら、それは気休めとか、最悪よりもマシなだけなのではないかと思う。

窓の外から、真っ白な朝日が差している。私は朝が来たことを感じながら目を閉じた。

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