声で文字を紡ぐということ。

こんばんはキッチンタイマーです。

音声入力が便利だというので音声入力で文章を打っています。普段は「だ、である」体で文章を書いているんですが音声で文字を打つ時は話し言葉の方が書きやすいです。

今は Android で音声入力をしながらパソコンで編集を行っています。 文字を打つときは一気に入力できて編集するときは パソコンでちょこちょこと調整ができるので便利です。 ただ書くときのカーソルが二つあってどちらを操作してるか分からなくなってしまうのはちょっと困ったところですがそのうち慣れることでしょう。

こうして話してるとラジオの撮影を思い出します。話しているときは文章を書いてる時とは少し違った感覚です。 ラジオで話したりスピーチをしている時は、話して初めてしっかり自分の考えとして 目の前に現れたような気分になります。 ラジオでも撮影をしている時に台本になかった事が事突然口から出たりして「私はこんなことを考えていたんだ」と 再確認することもしばしばあります。その発見は山を探索していて滝を見せた時の驚き似ています。 突然目の前に見たこともない景色が顔を出し「あぁ、こんなところがあったんだ」と、しばしそこで呆然と立ち尽くすこともあります。

この景色は自分の頭の中にずっとあったはずなのですが、初めて見つけたような気持ちでいっぱいです。今までないがしろにしていたことを 悔やみ 自分の浅はかさを知ったような気持ちになります。 でもそれが楽しいので自分の考えていることを話したり 伝えたりするのが大好きです。 あまりやりすぎると説教臭くなるので 少し控えめにしてるつもりなのですが 話をするとどうしても自分の思いついたことに後付で言葉を足していくようになって やっぱり説教臭さが抜けません。 どうしても教訓めいたことを言いたくなってしまうのです。

普段書いているエッセイは 土を掘り起こす作業に似ています。 ふと日常の気になったところや、自分の感情の源泉を 見つけた時私はそこを掘り起こしたくなります。 自分が見た景色や気になったことよりも、 どうしてそれが気になったのだろうと 考えてしまうのです。 同じ風景でも 同じものを見ているとは限りません。 同じ時間を共有したけれど同じ感想を持っているとは限りません。何より、その時感じた気持ちを素直な文章にできるかどうかが、私の挑戦でもあります。ある日の会話や見た出来事に自分がどう感じたのかを、一つ一つ飾らず正直な言葉にしていくことで「あぁ、お前はそんな風に感じていたのか」と答え合わせをすることができるのです。 そうして掘り起こした奥深くに、自分の心の中にずっと眠っていたダイヤの原石のようなものを見つけることがあります。それを拾って持ち帰り、文章に直すのがエッセイの醍醐味です。 他の人から見れば石ころにしか見えない小さな結晶が、私にとって宝物になった理由を説明する文章に直していくのは本当に楽しい作業です。

今書いているこの文章はエッセイというよりもスピーチの原稿に近いような感じがします。 文章を書く速度はほとんど話している時と変わりません。 パソコンで打ったりスマホで入力したりしている時と比べて、 3倍くらいの速度で入力しているように思えます。 私が文字で表現をする速度と皆さんが文字を読む速度は同じとは言えないまでも、パソコンやスマホで文章を書いている時よりは近づいてきたのではないでしょうか。

エッセイで文字を書くのと比べて、分量が長くなりすぎないように気をつけなくてはいけません。 文字を書くときはだいたい疲れるまで書いて2000文字くらいです。 でも喋っていると2000文字はあっという間に超えてしまいそうになります。

この文章のジャンルは果たして何なのでしょうか。 まだちょうどいい言葉見つかっていませんが 少なくても楽しく文字をかけることは変わりないようです。

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