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【月報2023年8月】元公僕が地域おこし始めてみた件

トップ写真は、安渡公民館で行われた盆踊りの様子です。

8月は、
【岩手県沿岸被災地を巡って】
【鹿子踊デビュー】
【盆踊りデビューはまた来年】
【初めての吉里吉里まつり】
【新たな復興ボランティアの形】
の内容でお送りします。


1.岩手県沿岸部を巡って

室崎益輝先生が宮城県の東日本大震災の被災地の巡検に来られたので、そこに一部同行してきました。

自分は、陸前高田・大船渡・釜石・山田・宮古(田老)に同行しました。

そこで感じた点を以下に記します。

・コミュニティによって異なる復興のかたち

巡った土地は市町村で表記しましたが、基本的には復興事業が行われた地区ごとに見て見て、お話を伺いました。

津波浸水域に植樹された桜

例えば、大船渡市の中心部付近でも大船渡地区と盛地区では、地区の成り立ちも異なるため、復興まちづくりの形態も大きく異なります。

要するに、そこに人が住むようになった経緯、住んでいる人の職業や年齢、人数、人々の関係性など、ハードやソフトも含め復興まちづくりに大切なことのほとんどは文書では読み取れないことだと感じました。

大船渡の防潮堤

しかし、一方で復興まちづくりを進めるためには、津波の浸水想定と津波の被害低減方法が現実的なハード面での大きな制約として、結果としてソフト面でのまちづくりに影響を与えていると感じました。

キャッセン大船渡での鎧剣舞

様々な場所を訪れても、最初に浸水想定と提言方法が提示されてから、その地域の復興まちづくりを検討することになったという話を聞くことが多いと感じたので、災害が発生してから大きな被害を受けた中で人々が全てをスピーディに決める事には限界があり、だからこそ今後は災害が起こる前に考えておく事前復興が必要になったのだと感じました。

釜石市東部地区

様々な復興の形やその評価も人によって異なる中で、とある方が「復興まちづくりに成功・失敗したという外部の評価はあるかもしれないが、そこに住んでいる人たちが今幸せに暮らしていることが大切」といった趣旨のことをおっしゃっていたので、結局は防災も復興もそれ自体が目的ではなく、そこに住んでいる人がより良く生きるための手段なのだとあらためて実感しました。

釜石市両石地区

きれいな町に住んでいれば幸せとも限らない、復興が出来ていないと見える街に住むことが不幸とは限らない、あくまでも見える指標でしかそこで住む人の気持ちを判断できないのは、そこにいる人たちのことを自分事として考えることの難しさだと思いました。

・復興過程に感じた喪失

宮古市の田老地区に行ったついでにグリーンピア三陸みやこという宿泊リゾート施設に寄りました。

この施設は、今は普通に営業をしているのですが、東日本大震災発災後に避難所となり、その後、約400棟という大規模な仮設住宅と「たろちゃんハウス」と呼ばれる仮設商店街として利用されました。

当然今は無いのですが、「たろちゃんハウス」だった2階建ての仮設店舗と、仮設の案内看板がまだ残っており、かつてはこの場所に多くの人の生活があったことを感じることが出来ました。

仮設案内看板

そして今は元通りとなった場所に見ると、自分は今までここに来たことが無いのに、ふと寂しさというか、一言では表現できない感情になりました。

被災地外の人が被災地を訪れる時に訪れる可能性が高いのが大きな仮設商店街だと思います。

自分自身も沿岸被災地を回ったことがありますが、その時に訪れるたのは今はもうない仮設商店街でした。

たろちゃんハウスだった建物

また、釜石でよく訪れた鈴子の仮設商店街や大槌のきらり商店街、そした大規模な仮設住宅の跡地、それらを訪れたことがありますが、そこにいた人が再建できたことは喜ばしくあくまで仮設の場所だったのに、なぜか寂しく感じました。

この寂しいといった感情に良いも悪いもなく、単純にそう感じたということです。

そしてこういったことを考える度に良く思うのが、住宅は仮設でも、そこにいた人たちの人生は仮のものではなく、ましてや年数も長いので非常に重く感じました。

そして沿岸被災地の今は、決まったレールのっ先に出来たのではなく、様々な人の考えや想い、経験が重なり合った先に出来たもので、きっと今後事前復興計画なるものが整った地域が災害に逢ったとしても、官が続けないといけないことだと思いました。

また、住宅再建という数字の上ではポジティブな要素も、そこに住んでいた人の立場を考えるとネガティブな要素やストレスになる要素もたくさんあるのだと思いました。

まあ、結婚や妊娠、転居など日常でめでたいと言われていることでさえ、ストレス要因のランキングに入っているので、そういった良いことも悪いことも普通の人より短期間の間に経験した人達の強さと言うものを知ることが出来た気がします。

田老地区の街並み
田老の旧防潮堤の上
震災遺構「たろう観光ホテル」
田老地区の高台移転
山王岩と太平洋

・誰の話を聞くのがいいのか

外部からの人が被災地を見に訪れる際に、誰の話を聞けばいいのか?とうことで自分はいつも悩みます。

伝承施設や語り部やガイドの人の話を聞いて十分というのであればそれで良いのかもしれませんが、それ以外の人の話となると簡単ではないのかもしれません。

個人的な考えですが、自分は大槌で出会った知人に話してくださいということは言いたくないですし、ましてやそれを被害の大きさで判断してしまうようなことはしたくありません。

宝来館(釜石)

今回は、以前から室崎先生とご縁があった方に大槌を案内して頂くことになりましたが、今後自分にそれを決める自身がありません。

また、今回は話していただく内容が発災当時の事というより、震災からの復興も含めての個人的な考えも含めた話という事だったのですが、人によっては話したくない内容を話させてしまうということにも繋がるので、今後も慎重にして行きたいと思いました。

・まとめ

室崎先生の巡行に同行することで、自分自身も東日本大震災や過去の災害から大変多くのことを学ぶことが出来ました。

それも79歳という年齢にもかかわらず現場を訪れることを大切にしておられるおかげです。

そして、この行程では室崎先生の話よりも各地区でお話しいただいた方々の話の方が量が多く、聞く姿勢の大切さを身にしみることが出来ました。

そういった姿勢を少しでも自分自身も受け継いで、これからの大槌の為に役立てていきたいと思いました。

2.吉里吉里公民館の夏休み 後半

7月分に続き、吉里吉里公民館で例年行われている『地域で育てる夏休み』事業の後半についてお伝えします。

①森林教室

(特定非営利活動法人吉里吉里国)

吉里吉里国のスタッフのご指導の下、木工教室と薪割体験がありました。

木工教室では岩手県産の木材を使い、子どもたちは、3種類の木工キットの中から一つ好きなものを選び、組み立て、釘打ち、色塗りをしました。

小学校1年生~6年生までいるので、一人では難しい所やくぎ打ちなどは周りの大人が手伝いながら完成させました。

それにしても、最近の木工キットは一日で完成できるので失敗してもダメージが少ない分子どもたちに挑戦し、完成させる機会を多く提供できるようになっていると感じました。

その間に順番に薪割を吉里吉里国のスタッフと一緒に安全と熱中症に配慮しながら子供たちが体験しました。

低学年でもセンスがある子は簡単に薪を割っていました。

また力の弱い子でも繰り返すたびにうまく斧を振り下ろせるようになり、最終的には薪を割ることが出来ていました。

すごく余談ですが、センスがある子は何の努力もしないで薪を割ることが出来ていました。

それ自体は良い事だと思いますが、仮にうまくできなくなった時などに意識的なフォーム修正が出来なくなるかもしれません。

そうなったときに困らないように余裕のある子にはワンステップ上の課題を与えてあげるのも、大切だと感じました。

余談はさておき、当然この日もかき氷休憩タイムはありました。

②吉里吉里地区ロゲイニング

(元ボーイスカウトリーダー)

ウォークラリーに似た「ロゲイニング」という地図に書かれたチェックポイントを制限時間内にうまく回ってより高得点を狙うというゲームに参加しました。

今回は、吉里吉里地区内の歴史的なポイントをグループで周るということでした。

この日も非常に暑い日だったので、各グループに一人ずつ大人が付き添いました。

小学校1年生から6年生までいるので、低学年の子達は高学年の子達についていくのは大変そうでしたが、ここだけの話、一番大変そうだったのは付き添いの大人でした(笑)。

ロゲイニングの後は、型抜き体験やかき氷タイムで、屋外での疲れを癒しました。

ボーイスカウトの人の人の力は偉大で、スマホやゲームなどの電子機器が無くても子供達だけではなく大人までもが夢中になるようなものが揃っていると感じました。

ボーイスカウト以外にも、大槌の人達が昔やって夢中になった遊びなどを自分も体験してみたいと思いました。

③吉祥寺寺子屋+ヨーヨー釣り

(吉祥寺)

最初は住職による座禅体験でした。

吉里吉里の子ども達は定期的に座禅体験を吉祥寺でやっていると思うので高学年の子ども達は慣れているように感じましたが、1年生は何とか頑張っていました。

自分自身もここで座禅体験をしているのを見学することはよくあるのですが、自分自身は意外にやっていないので、いつかやってみたいと思いました。

その後は、吉祥寺で工事の際に見つかった経石のほこりや汚れをはけで払い、書かれた文字などについての思いなどを聞いていました。

その後は、おやつタイムの後に、寺の入り口から鐘まで坂ダッシュするという津波避難体験をした後、津波避難を促す鐘付きの練習を行いました。

鐘付きという特別な体験の中に、日常を守るというきっかけがあるというのが生きるために必要なものの一つだと感じました。

その後は公民館に戻り、かき氷タイムとヨーヨー釣りをしました。

ヨーヨー釣りのセットがあったので、初めてヨーヨーをたくさん作りましたが、自分は不器用なのでかなり水でびしょぬれになりながら作りました。

最初に一人1本ずつヨーヨー釣りの「こより」を配ったのですが、インチキテキ屋ばりに全然つれなかったので、少し工夫をこらしたら、結構の子たちがヨーヨーを釣れるようになりました。

なかなか盛沢山な一日でした。

また、この日は最終日でしたが、「地域で育てる夏休み」の中でも一番うれしかったことがありました。

吉祥寺から公民館に戻った後、時間が足りずヨーヨーと「こより」が人数分用意できていなかったので、必死で用意していたところ、6年生の子たちが手伝いますと言ってくれました。

おかげで何とか準備が出来て、ヨーヨー釣りも無事に終えることが出来ました。

みんな不器用で、自分とは親子のような歳の差ですが、違うのはそれだけだと思いました。

大したことではないかもしれないですが、同じ人として他の人をうれしくさせる力がある。それは何よりも素晴らしい事だと実感しました。

だからこそ、自分自身もその行いにこれからも応えていきたい、そう思いました。

これで吉里吉里公民館の夏休みは終わりですが、冬休みも子ども達がこの町で楽しく過ごせるように少しでも力になれたらと思います。

④最後に

7日間あった吉里吉里公民館での「地域で育てる夏休み」が終わりました。

改めて、この地域には子ども達のために力を尽くすことのできる方々がたくさんいることを実感できました。

また、お手伝いと写真撮影する中で、自分にとっても新たな学びと気づきの場になりました。

例えば、最終日は急遽最後にヨーヨー釣りをやることになりました。

自分自身ヨーヨーを作るのは初めてだったので、何度も失敗して水浸しになりながらなんとか作れるようになりました。

この年齢で言うのもなんですが、人生いくつになっても勉強することばかりだなと改めて実感しました。

これで大槌に来て、わたあめ作り、かき氷作り、ヨーヨー釣りができるようになりました(笑)

もう一つは、子どもたちと毎日触れ合うことで、子ども達の中の社会に少し気づくことができました。

いわゆる大人からは「子どもたち」とひとくくりにされ、一部の目立つ部分のみが場合に応じて取り上げられがちだと感じていますが、その「子どもたち」の中に入り込むことで、〇〇君はこんな人で〇〇さんはこんな人と言うのが少しずつ見えるようになった気がします。

要するに大人対子どもと言う構図ではなく人対人、北浦対〇〇君と言うイメージです。

元々かなりの人見知りで、子ども相手の仕事はほとんどしたことがなく、どちらかと言うと子どもはかなり苦手と言えるものでした。

しかし子どもではなく、〇〇君、〇〇さんとの双方向的な人間関係と捉えることで、少しは自分の中で付き合いやすく感じるようになりました。

それも〇〇君の話や、〇〇さんの涙、〇〇さんのくれたおやつ、〇〇君の笑顔、〇〇さん達のヨーヨー作りを手伝うって言ってくれたことなどがあったからだと思います。

この程度の短期間の関わりで、こんなことを言うのは大袈裟なのかも知れません。

しかし、共に大槌で生きる仲間として、続いて行けたらと思いました。

3.初めて鹿子になった日

珍しく自分の写っている写真です(笑)。

先日、おしゃっちで開催された「郷土芸能かがり火の舞」に臼澤鹿子踊の演舞で踊り手として参加しました。

本来は1週間前の12日に小鎚神社の屋外でかがり火の中踊る予定だったのですが、気象警報で1週間延期になりました。

この1週間は鹿子踊の事ばかり、頭や夢の中に出てきて落ち着きませんでした。

そして1週間後も当日雨が降り、屋内のおしゃっち開催となったので、自分は雨を呼ぶ男なのだと実感しました(笑)。

それでも結果的にはなんとか踊り手としてデビューすることが出来たのですが・・・

結果から言うと、鹿子頭を着けると身体が全く思う通りに動きませんでした。

鹿子頭や、幕、カンナガラを自分が自分の身体とは全く別のものに感じました。

緊張で身体が自分の身体では無いように感じました。

踊り終えた後、移住者の踊り手としてのインタビューを受けたのですが、何を話したのか覚えていません(笑)。

鹿子頭を被っている時も、普段の自分と同じく1人では生きていけない生き物であることは全く変わりませんでした(笑)。

踊りはまだまだこれから練習が必要ですが、今回の踊り手の中で間は多分最年長でしたが、この年齢になっても新たな挑戦ができたことはとてもありがたいことだと思いました。

人前で踊ることも、身体を動かすことも得意ではないのですが、楽なことではないからこそ郷土芸能やまつりが楽しいと思えるようになるのだと感じました。

実際、たまたま観に来てた小学生の知り合いが踊りを終わった後に声をかけてくれたのが嬉しかったです。

これからは大槌まつりに向けて踊りの練習を頑張ります。

4.安渡地区の盆踊り

安渡地区の盆踊り大会にお手伝いで参加しました。

昨年はコロナで中止だったので大槌に来て3年目で初めての盆踊りでした。

3年目にしてやっと大槌の夏を感じることができたような気がします。

マイムマイムしか踊りを知らず、踊れませんでしたが(笑)

そして、どこの地域でも当たり前のように開催されるように感じる盆踊りですが、開催するのも当たり前ではないと感じました。

住んでいる人の数や、お金の問題などもありますが、一番はそこにいる人達が集まって楽しめることだと思います。

これからもそういう場であり続けて継続できるように、もし来年の夏も可能ならば、少しでもお役に立てたらと思います。

5.初めての吉里吉里まつり

先日、吉里吉里まつりが開催されたので写真撮影などの用事も兼ねて行列と一緒に歩きました。

自分が大槌に来てから初めての開催だったので、ずっと楽しみにしていました。

まだ頭の中で太鼓や囃子、笛の音や神輿の掛け声が鳴っています。

僕は郷土芸能の自分もやっているということもあり、鹿子踊が好きなので、宵宮祭での鹿子踊はとても迫力がありました。

個人的には吉里吉里鹿子踊の刀振りが後退しながら腰を落とし、低い位置で刀を横に振るポーズがめっちゃ好きです(笑)

また、吉里吉里虎舞の和藤内の虎退治も動きがスピーディーでとても好きです。

それはさておき、今回の祭りは郷土芸能や神輿で祭りに出る知り合いの撮影以外にも目的がありました。

①神戸ボラバスと浪板大神楽

実は神戸大学のボランティア団体である「神戸大学ボラバス」の学生さん達が、コロナ禍前の縁を辿って大槌に来ると同時に、浪板大神楽の手伝いや甚句の踊りへの参加するのでその様子を付き添って見て回るためです。

大槌に来る前に動画を見て甚句の練習もして来られたので、僕の素人目には元々踊っていた人のように感じました。

宵宮祭でボラバスのメンバー7名が青い半纏を着て並んで甚句を踊る姿を見て、人は誰でもどこでも輝けるのだと実感しました。

阪神淡路大震災のあった神戸から東日本大震災をきっかけに発足した団体で、世代が変わっても大学生が被災地でのボランティア活動を続けてきました。

しかし、コロナ禍により来ることも難しくなり、また震災からの時間の経過と共にボランティアに行く意義を外部にうまく示すことが難しくなってきました。

そんな中、7名の方々が大槌まで来てくれたことは、いわゆる災害の初期のフェーズの災害ボランティアからその後の生活も踏まえた災害・復興ボランティアのような長続きするものになればと思います。

そして一方的な「支援」とは異なる関係を、災害がつなげた縁がさらに続いていき、それがお互いの未来をよくすることにつながって行けたらと思います。

こういった大槌は未知の体験の震災からの学びを提供し、まつりの郷土芸能団体の人手不足の解消という、被災地ボランティアの新たな形が大槌の震災伝承・復興観光ツーリズムのひとつのあり方になればと思いました。

神戸から来てくれたボラバスのメンバーにとって、とてもいい思い出になり、自分の身になる旅になることを願っています。

そして、その縁がこれからも続いて行けたらと思います。

とか言っておきながら、僕はあくまでもそれを見届けていただけの役なので、その繋がりを手繰り寄せたボラバスのメンバーと受け入れた波板大神楽の方々のおかげだと思います。

②3年目で最初の吉里吉里まつり

話は戻り、他にも吉里吉里のいろいろな知り合いの方々があちらこちらで祭りに参加しており、単純に参加人数ではそこまで多くないのかも知れませんが、そこに住んでいる人の数から見るととても大きな祭りだと感じました。

また、復興や防災のためにはその地域で祭りがあることが重要だという話をよく聞いたことがありますが、個人的には防災のために祭りをやるのではなく、祭りのために祭りをやる、祭りが好きだから祭りをやるのだと思いました。

今回は観る祭りでしたが、一部虎舞の囃子に加えていただき、分からないなりの楽しさを感じることができました。

最初は写真を撮るだけのつもりで来ましたが、足をつるほどに吉里吉里まつりというものを体験することができたと思います。

祭りを通して、普段とは別人のようにより輝いて見えた吉里吉里の人達を見ているだけで、一生忘れることのできない吉里吉里まつりになりました。

自分が「観る」祭りは終わりましたが、まだ「かだる」祭りは終わっていません。

俺たちの祭りはこれからだ!(フラグ)

7.おわりに

わたあめづくり

8月の大槌も暑い日が続きましたが、かき氷、スイカ、花火、盆踊りなどコロナでしばらく体感できなかった夏らしい大槌を感じることができました。

けれど本当に大切だと思ったのはそれらは全て、誰かと関わることで体験出来たことです。

山田町の花火

多分自分は大槌ではひとりでは生きていけないと思います。

ただひとりじゃないから生きていける、そう思いました。

臼澤鹿子踊

そして9月はまつりを通じてもっと大槌の人々と関わり、過ごすことができたらと思います。

夕焼けの浪板海岸

大槌町地域おこし協力隊

北浦 知幸(きたうら ともゆき)

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