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「人に迷惑をかけない」の本当の意味


グレーゾーンの人が最近増えてきているなあ、と思います。LGBTをはじめ、性別や恋愛対象がグレーゾーンだったり、発達障害や自閉症、うつなど、はっきりそうと診断が出ている人と「あくまでもその傾向があるよ」というだけの人。グレーゾーン、増えてきているなあ、というよりも、昔からたくさんたくさんこの世にはいたのに、時代や世間がこわくて言えなかっただけ、というのが本当な気がして。それはやっと、胸を張って声を大にして堂々と、自分の言いたいことを言いやすい時代になってきたということだよね。それは、そのこと自体は、素晴らしいことだと私は思う。

この話を踏まえて、「人に迷惑をかける」ということの本質について考えてみたいのです。

たとえばの話、性犯罪を犯した人がいたとして、「精神錯乱状態だった」として罪に問われなかったり減刑されたりする場合がありますよね。

性犯罪に限りません。飲酒運転とかひき逃げとか煽り運転とか、ひったくりとか万引きとか強盗とか、重いものでいうと人殺しとか、そういった犯罪を犯した人たちが、「精神状態が異常だった」として半分許されてしまうような状況が作り出される。

自分に関係のない場所で起こっていることであれば、「迷惑がかかっていない」わけだから、スルーでもいいかもしれない。でもこれが、自分が被害者だったり、被害者の関係者だったりした場合は、明らかに「迷惑がかかっている」わけだから激怒しますよね。

「加害者の精神状態なんて知るか!」
罪は罪なんだから、行動に対して罰を与えろよ、と私は思ってしまうんです。それが本音。相手が何かしらの精神的な病を抱えていたからといって、そんなの関係ない。やったことはやったことなんだから、健常者と同じ扱いにしてくれよと思ってしまう。

「人に迷惑をかけないようにする」努力って、健常者でも障害者でも同じようにすべきものじゃないでしょうか。もちろん、身体障害と精神障害は違うかもしれない。それでも、「自分にはこういう作業が出来ないから、あなたが代わりにやってくれ、自分はこっちをやるから」っていう代替案を提示することが、ほんとうの意味での「人に迷惑をかけない」だと思う。「自分にはこういう作業ができない、病気だから障害だから仕方ない、だから健常者がすべて代わりにやってくれ」というだけの人が多い気がしてこの文章を書いています。

時間管理が苦手なら、得意な人に任せてしまって自分ができることを探そうよ。先を見越してスケジュールを組むのが苦手なら、できる人に任せてしまって自分は納期を守ることに集中しようよ。

言いたいことが言いやすい世の中になったからこそ、「だから勘弁してくれ、許してくれ、大目に見てくれ」だけで終わってしまうのはよくない。自己アピールなら誰にだってできる。甘えるだけなら誰にだってできる。それ以上に、自分には何が出来なくて何が出来るのかを死に物狂いで探して相手に提示するほうが先なんじゃないだろうか。

許されようとするよりも、甘えようとするよりも、できることを探すほうが先。それが難しいならせめて笑顔で朗らかに過ごしてください。他人に負のオーラを与えないだけでもあなたが生きている価値はあると思います。というのが、今回伝えたいことでした。



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