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悲しみも楽しみも、総量は決まっている


フリーランスとして働くようになってから、一気に1人で過ごす時間が増えた。私は元々1人でいることが苦にならない性分で、学生の頃なんかはわざと1人でいられる選択肢をとったり、自分で自分を1人にするような生き方をしていたけれど、「1人でいることが普通」な環境になると、不思議と人に会いたくなる。人が集まる場所へ行きたくなる。

1人でも作業できるのに、わざわざコワーキングスペースへ行ったり、シェアハウスへ移り住んだり。数年前の私だったら考えられないことだった。人って不思議なものだなあ、とつくづく思う。

人に必要な分のお金は、予め決められているという話がある。

それと同じで、人が幸せを感じる総量や、反対に悲しみを感じる総量も、最初から決められているという都市伝説のような話がある。本当かどうかはわからないし、感じ方も考え方も人それぞれだけれど、もしも「1人で過ごしても平気でいられる時間」さえ決められているのだとしたら……と妄想してみると、ちょっとだけ楽しくなった。

これまで多くの悲しみを味わってきた人は、これからの人生では喜びが増える。この考え方は、生い立ちや境遇に不満を持ち、不幸を抱えている人たちには少しばかりの救いになるかもしれない。

それでは、これまで多くの喜びを味わってきた人は、これからの人生ではその分の悲しみが待っているのだろうか?

総量が決まっている、と考えてしまうと寂しくなるけれど、この場合は、「総量は増え続ける、更新され続ける」と考えるほうがいい。私はそうすることにした。

悲しみの総量は定量、幸せの総量は、生きれば生きるほど増え続ける。そう考えたほうが精神衛生上、ふっと楽になるし、もっと幸せを感じるために長く生きようと思えるんじゃないだろうか。


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