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ペットを飼う人の気持ちがわからない。理解できない。

ペットを飼う人の気持ちがわからない。この文字のニュアンスの通り、私はペットを飼うことに侮蔑的というか嘲りというか、負の感情を抱いている。人の気持ちや感情について議論しようとしても、心変わりするものでもないので無駄だ。(※詳しくは、議論の作法ルール等参照のこと。主観について話すのは話し合いや相互理解と呼ぶべきだろう。)好きだから好き。理屈じゃない。だから、正直記事を書いてもしょうがないのだが、自分の心の整理のために書く。



愛玩動物=ペット

ペットを日本語で訳すと、愛玩動物とでる。そのしぐさや様子を愛でることとでる。何に美や癒しや愛を感じるかは人それぞれであり、アリの巣や雪の結晶、建物、二次元のオタク絵。庭。なんでもありだ。誰が見るんだそんな本という本でも誰かは買っているのだ。それは否定できないし、否定するものではない。ペットに美や癒しや愛を求めることは正しい。




ぬぐいきれない理解不能さ。

少し文章にしてみてわかってきたが、私はペットを飼うこと自体を否定はしていないのだ。では何が理解不能で気持ちがわからないとなるのかといえば次の3点だとはっきりした。



1、公言性と社会性

爬虫類や猫、色々なペットがいるが、犬は少し独特で散歩を必要とする。つまり屋外の人目につくところに連れ出す必要がある。ここに公言性と社会性があり、どこかおさまりの悪さを感じる。

私の趣味や愛は犬です!!!と他人が我が物顔で公言することが理解できないのだ私は。適切な例えではないだろうが、会社で使うペンケースや学校で着る制服などに、自分の好きなオタクグッズを使っている人を見た気持ちだ。公共の場やTPOにそぐわないところで、自分の趣味や好みを押し出してくることに不快感があるのだ。いや逆かもしれない。会社や制服にオタクグッズを使う持ち込むことは絶対に許されない。好きなアイドルが卒業した哀しさで会社を休むことは許されないのに、犬が死んだことで休むことは容認されたりもする。公言して犬は生き物だ等として他の趣味や愛とは区別され許されることへの不公平感に、不快感があるのだ。

また適切な例えではないだろうが、駅のなんたら撲滅運動のポスターにオタク絵がでかでかと使われることへの不快感と似通うかもしれない。1つの愛の形でしかないものを、なぜ社会的なものとして扱うのだろうか。犬が暮らしやすい社会?犬と人の生活?社会としてそれをどうこうしないといけないような社会の一部に組み込むことが理解できないのだ。なお、ペットではない盲導犬や目的を有する動物等は、社会性を有して扱われるべきである。




2、ペットは家族ではない。

怒られる。絶対怒られる。でも書こう。映画好きやアイドル好きやガンプラ好き。人生の潤いで趣味で愛だろう。その人が大事にする価値観で人生の大事な一部なものはある。その人にとってどれだけ大事かはその人次第だ。それを人が推し量ることはできないし否定もできない。

ただ、ペットは家族です家族の一員ですという言葉や扱いは違うだろ。

俺はラーメンマスターだといって、カップ麺が最高だ。ん?カップ麺を週に2つ食べるぐらいだよと言われたらなんだこいつと思うだろう。峠を攻めることに命を懸けている走り屋だといっておきながら、軽自動車にエアロパーツが1個ついてる車で走ってたら、鼻で笑うだろう。

あなたにとっての家族の形とは、満足に意思疎通できず、排泄の世話を常にしてあげて、食べ物を準備してあげて、あるいは時に閉じ込めたり鎖でつないだりすることなんでしょうか。言葉とやってることの程度差に、呆れと苛立ちを感じるのだ。つまり、人生を愛溢れるものにするパートナーだとか。私にとってなくてはならないものといった表現ならば、なんの問題違和感もないが、家族ですという言葉は使ってほしくない。そんな関係性が家族の訳ない。思うに、家族だという表現で得をしたいからだろう。家族なんだから、死んだら会社を休んで当然だ。家族なんだから一緒にご飯を食べられるお店を増やせ。家族なんだから一緒に泊まれる宿を増やせ等々。都合のよい表現で社会や人に訴えているだけなのだ。

※認知症老人と被ってくる話かもしれない。しかし、私の死生観は生命や肉体の死ではなく、理性であり人格の死がその人の死だとみているので、認知症で上述の状態になった場合はその人の死だ。私の父親ですといった記号的表面的表現は使うだろうが、認知症老人を家族だ家族の一員だとは決して表現しないだろう。



3、道楽性

昨日の休みは、あるラーメンを食べるためだけに飛行機を使って、片道5時間かけて北海道まで行ってとんぼ返りしてきたと友人から聞いた時の反応だろう。そこまでする!?という道楽性にややモヤモヤしてしまう。ペットを飼うことで月々の生活費は増えるし、旅行に行きにくくなるし、世話は大変になるし・・・。割に合わないだろうと思う感情だ。でも、それをする人には十分に見合う愛だろうし、苦にも思わないのだろう。雪のふる真冬、大晦日正月に海に行くサーファーも人によっては、そこまでする!?と笑われるだろう。これはまぁ各自の趣味だから仕方ない。理解できなくて当然の事だろう。




最後に

ペットを飼う人の気持ちがわからないではない。正しくは、ペットを飼うということを他の事と同列にではなく、優位、優劣、優遇の対象とすること、されて当然だと思うことが理解できないだ。

社会的に価値があるなら、社会の側にもそれを容認したり推進するべきだし。整えるべきだろう。あくまで個に属することなら、それは個人の範疇でするべきで他人に過度の迷惑をかけたり、他人に強制や忍耐を強いるものではない。


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