映画LUCKYを観て。ホラー?サスペンス?ドラック? 解釈解説してみる。ネタバレあり。

自分の解釈が正しいのか知りたくて、ネット検索したのだけれどもなにもでてこなかったので、解釈を書いて賛否両論を貰おうと思います。



この社会で女性に迫りくる不条理や苦痛を抽象表現した映画

という映画だと思いました。いや、そんな映画楽しいのだろうか・・・と終わってみて思います。謎の男の正体は、いうなれば正体不明で実態のないもので、世の女性たちが常に戦っている何かで、そして負ける人も多くいれば勝つ人もかろうじているというそんな何かの恐怖不幸不条理の存在です。生き残るのに精いっぱいで女性同士で協力することもできません。男社会にはびこる女性へのデメリット事象の集合体と言い換えてもいいかもしれません。

タイトルのラッキー(幸運)は、あなた女性だけど、まだこの社会で生き抜いていて殺されていないのね。幸運よね。とそういう意味です。ただこれも相当皮肉くさくて、映画内で仕事の成功を運として評される時がありますが、それをかたくなに否定します。幸運だよねと言われた時、いやいや幸運じゃなくて私の実力!!いや努力!!と主人公が言い張りますが、言った側はハイハイという感じで受け流します。運がいい?⇒努力?⇒鼻で笑う?の流れに、タイトルの幸運には様々な意味がありそうです。

明確にストーリーにオチがつくとか伏線がどうのという映画ではなく、全体の雰囲気づくりに専念して、このテーマを表すべくあくせくした作品という印象でした。




当初はテッド(夫)の失踪や殺害濃厚で奥さんに自供や裏取りしているのかと思った。

DVに強引に話が向けられたり。奥さんの実害が軽々しく扱われていることから、これは奥さんがみている幻覚(実際最後の戦闘での左こめかみの傷はすぐになくなっていた。)だと当初予想しました。なので表の現実でおきていることは、夫が失踪や殺害されたと見られる明白な証拠や証言を発見。奥さんが関与していると思われている。で、筆頭容疑者の奥さんは、幻覚で毎夜警察を呼び出したり挙動不審極まりない。そこで、DVという言葉で夫への不満やらなにやら話を引き出そうとしていたのではないか!?と予想してみてました。

が、ラストの仮面の男の顔が夫のようであり、これまで関わった男たちの顔に変わったりとして、そのままエンディングになったので、いやこれそういうことじゃなさそうと気づきました。




というわけで暗喩の嵐。

オチで謎の男の正体は、これまで登場した男たちのだれでもあるというメッセージで、もう現実や合理じゃなくて冒頭のメッセージの映画なのだと思いました。そこから逆算していくと・・・。


・これはそういうものなんだ!

⇒夫の不可解な説明に納得できないで反論すると、そのまま話し合いはできずに、夫は離脱。男社会?とかの暗黙的で非合理なルールに直面した女性の反応。そして、それで分かり合えないでいると、男の方がもういいよと呆れるように去っていく。そういう様子が男社会の独自文化に理解できない、理解しようとしても、呆れられて話にならない様子の暗喩かなと。



・毎夜にならないと来ないよ。

⇒すぐに真っ昼間から、襲ってきはじめる。男の言ってることはてきとー。信じられないという暗喩。


・DV関連の話を延々される

女性が困っている=夫になにかされたんでしょ!?という短絡的な思考構造への遠回りな批判。あるいは、女性の困りごとには男が関係している=男ありきみたいなことへの批判の暗喩。


・次回作が決まったよ。なんて幸運なんだ!!

女性の成功は”運”で片付けられる。理不尽という暗喩。


・一番最後に助手が襲われていて助ける、でも他の人は助けられない

たまたま助手は助けられたが、その他の女性たちの戦いまでは救うことができないと諦める。女性同士協力できないという暗喩。



と、こんな風に女性の様々な不条理に関わる事象を、色々暗喩しているように思いました。



もう一周回っての、様々な暗喩

女性は理不尽に不条理にやられている。とそんな雰囲気をバンバン押し出してくる訳ですが、女性の対応についても皮肉がたっぷり込められているように思えました。つまり、男社会の不条理。それに対抗する女性の姿の滑稽さ、アホさ、対応ミスも存分に描かれています。深読みすれば被害者ぶるよりも周りと協力しよう~みたいなメッセージが透けて見えます。



・最初の攻防後、ベニヤ板と釘で割れた窓ガラスを修理

いやいや、そんなぺらぺらな板で暴漢から身を守れるわけがない。業者を頼みなさい・・・。


・公演中に、待ちに待った夫からの着信。でも仕事中ででない。

いやいや、優先順位がおかしいよ。仕事中は仕方ない部分があるけれど、本当に大事なものを無視して履き違えて、失敗しているという暗喩。


・警察官やらとの話が全くかみ合わないけど、自分の話したいことを優先

なんでDVをそんなに気にされているんですか?とか、相手の考えをとりあえず聞いてみようとかそういう姿勢が一切ない。まぁパニックになっていて仕方ないのかもしれないけれど、自分自分自分ばかりでかみ合わない。



・夫の妹の傷を、まるでこいつが犯人か!?とばかりに疑う目

最後まで見終われば、妹さんも不条理に襲われていたせいで様々な古傷があったということなんだけれど、まさかあなたもアイツに襲われているの!?とは考えずに、こいつが犯人かという口調で詰問。そりゃ協力体制を築けないよ・・・。




終わりに

物語内の公演中に映画の核心に触れているセリフがありました。そういう恐怖からどう対処すればいいのでしょうか?男性と一緒にはどうすればいいのでしょうか?みたいなまんま映画の状況の克服方法を聞かれた主人公。で、「冷静に、自分らしく」と返します。

うん、どうみてもこれまでの対応は冷静じゃない。感情的にならないこと=冷静ではなくて、落ち着いて周りをよく見渡して考えることだと思う。また、自分らしくもなんかおかしくて、自分のやり方に、自分でやるに固執するみたいな様子で主人公が描かれていた。

というわけで、男社会の不条理を女性から見た描写。それに対抗する女性の滑稽な対応方法の描写という、なんともシニカルな二重のメッセージを感じました。で、面白いのかな、これ???

純文学作品(人間や生き方をテーマにした作品)が私はあまり好きじゃないんですよね。その理由として、長々と物語テイストにしなくても、テーマやメッセージをそのままストレートに書けばいいじゃんと思うんです。まどろっこしいよ!と。言い換えるなら、テーマがあるエンタメ作品はOKですが、テーマしかない作品は、もうそれエンタメじゃないんだから、エンタメぶらないでいいよとそんな感じです。ちょっと前だとミライのミライ?でもそんなことを思いました。以上。





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