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生存戦略における円の中心と外周という考え方について そこから導かれる対立構図

円の中心と外周という考え方を思いついたので整理しておきます。そこから導かれるもっと根幹の話も書いておきます。





生存戦略について

いろいろな記事で触れているので、知っている方は読み飛ばしてください。生物における生き残りとは、肉体の強さや強靭さではなくて、オリジナリティーにあります。同じ領域で競うと、同じ領域にいる相手とどちらかが絶滅するまで戦いあわなければいけません。とても大変です。なので、時間や食べる部位や食べ物や住む場所やあらゆる差を見つけだして他の人が誰もいない領域を見つけて、そこで陣取ります。(というか、結果的に生き残るために少しずつ枝分かれしていくわけです。)自然はその戦いのはてにあそこまで多種多様な生物が生まれては滅びていってます。

この生存戦略の原理ですが、人間のスポーツチームでも、企業経営でも、どんな分野でも同じ原理が働いています。一昔前のブルーオーシャン戦略もそうですし。経営戦略論でのコアコンピタンスみたいな考え方もそうですね。オリジナリティーとか、自分だけ!を見つけよ!みたいな話です。今回の円の話は、ここら辺の考えを拡張する話になります。





生き残るコンビニとは? 円の中心と外周の説明

この考えを理解するのに、生き残るコンビニとはなにか(ガソリンスタンドでもいいです)の例題が分かりやすい気がします。少し考えてみてください。


さて、答えは、円の中心と外周のコンビニです。町の中心に一番近い利用者が一番多いコンビニは生き残ります。次いで生き残るのは、一番町の外のそこから先にはコンビニがもうない外周が生き残ります。そこから先に家がある人は、そこで買い物して家に帰ったり。外に出ていく前の準備としてそこによる人もいるでしょう。人は少しすくなくても一番外という利点が強いからです。

今回は地理的な中心や外周という意味ですが、もっと抽象的な概念です。学校であればクラスの中心人物になることが中心であり、学業や学校から離れた特技や専門性が外周ですね。つまりは、その体制や制度や観念を構成する要素の中心にあるいるのか、あるいは、そこから一番離れた外側にいるのかということです。状況や人や目的によって、どこからどのあたりが外周なのかもかなり変化します。

その制度や体制や観念の中心にいればいるほど、トートロージー的ですが、恵まれていてもてはやされ、沢山持つ側になります。その沢山に憧れてより中心側に行こうとする勢力も出てきます。これまで円と言ってきましたが、円錐形のピラミッドのようなイメージの方が近いかもしれません。みんなつい上を見て一番高い中心の頂上に憧れて上ろうとするわけです。

一方で、上からかけ離れた下側で、円錐の外側の方が近い人がいます。外周の人です。彼らは上に上るのがかなり無理なので、外を見ます。すると、より外の方が実は得なことに気づきます。生存戦略でのべたとおり内にはないという差やオリジナリティーがそこで生じるからです。ついには、完全に外に飛び出して新しい円錐が構築されることでしょう。ヤクザが生まれるのも、サボッて職務中に副業する人が生まれるのも自然な流れなわけです。正義王道(多数派で中心よりの姿勢)と、悪(ピラミッド内にはないはみ出し姿勢)はこうして自然と生じ、自然と生物としてのありようで生き延びるために必然的に生じるものなのだと気づきました。すべての物事は対立構図になるように力学で運命づけられていて、絶対に争うようにできているとも言えます。





対立構図とその回避

パレートの法則やら、集団に関わる法則系も紐解けば、同様の原理の延長上にある気がします。有能といわれる人を集めても、そのなかでもより中心に近いか遠いかが決定づけられてしまう。すると、中心によるよりも外の方が~という人が生き残りのために必ず出てきて、結果として決まった割合のものしか有効に働かなくなったりします。

生存戦略として根深い、必ず生じるこの対立構図を回避する方法はいくつかあると思います。

1、社会保障社会福祉
2、徹底的な個人主義
3、真ん中(中間層)という第三勢力、三点保持

一番目は、外の方が得として外に飛び出さないように、外に意識を向けさせない為に、上の人がそこでちやほやされて恵まれている分を下に配分することでしょう。それが結果的に秩序や全体の調和の役に立ちます。最高の円錐を維持する配分率は、式で算出できそうな気がします。

二番目は、徹底的な個人主義ですね。集団になるから円錐形が構築されるのだから、集団にさせないということです。学校のクラスや偏差値や成績がなく、ただやる課題を好きに選んで進めて良いならば、みんな自分の学びたいことだけ学べることでしょう。指標の排除というか。価値観を多様化させるというか。

三番目は、上と下(外周)という隔たりがあるから対立構図が極まるので、中間層をかなーり幅広くもうけてそこに決定権をもたせれば、上のためだけや下のためだけの安易で過激な行動は避けられる気がします。二点保持ではなくて、三点保持の方が安定するわけです。多数決はちゃんと機能すれば、浄化作用が働きそうです。但し、上の人は上の分だけ力を持っていて、もっと上に上るためにルールを作ったり変える権力側なので、完全で正しい多数決もすぐ変更されて骨抜きにされることでしょう。あまりこの方法はうまくない気がします。絶対に変えられないようにしておくしかないですね。





おわりに

なぜ正義と悪が生まれるのか。必ず対立構図が生まれるのかようやくわかりました。しかし、負の側面をただ眺めていてもしょうがないので、中心よりの人は回避する方法を意識して秩序やその円錐を維持する方法を模索してみるか。外周よりの人は、外周よりだけど知らず知らずに中心に向かおうという選択ばかりしているようなら、この原理にのっとり外に意識を向ける戦略をとることも有効かもしれません。円の中心と外周の話でした。



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