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雑感”おかえりモネ”のこと

「姫は、今期の”おかえりモネ”どうでしたか?」

「ん?おもしろかったわいよう!っっw」

「なんですか?その変な日本語は!w」

「ん?そうかえ?まあ、朝からやるには難しい話しじゃったからな。綺麗な話に昇華したのは、ひとえに安達奈緒子さんの物書きとしての腕前じゃろ?」

「それは、認めます。」

「自分にとっての聖杯、欠けた何かを探す旅、それも、内面の旅じゃなぁ。辿り着くと、そもそもなんだっけ?ってなるのも、聖杯の特徴だし。モネは、小さな聖杯を何度も手にしながら、意識的に手放し、そして、大きな聖杯を最後に手にし、それと同時にそれは砕け散り、彼女の内面の経験値として、心の滋養になって行くんじゃろなぁ。(そのはずです。まだ、最後を知らないで書いています。)」

「上手いですよね。こういうの、春樹さんの小説に似てますね。」

「得体の知れない何かが足りない。けど、物語の始まりでは、主人公は、そもそもそれが何かわからないし、知ろうとするけど、何か知るための”資格”のようなものがそもそもない。ないということには気がついている。」

「春樹さんの小説、だいたいその形ですよね。広い意味での、内面的な意味での聖杯伝説。」

「そこから、心の冒険が始まる。」

「具体的に色々な場所にも行ったりもしますが、全て、内面の求めるままに!そして、自分の分身達と出会っていく。」

「妹もそうじゃよ、ある部分ではね。そうであったかも知れない自分の影。」

「春樹さんの小説なら、羊男みたいなものですね。」

「色々な形で出てくるよな。春樹さんの小説では、主人公の分身や影。」

「おかえりモネ、深まって、横に広がって終わりになりそうですね。そうなんですよね、現実には、今だに、癒えない人達が多数、存在する中で、安易な生長と適当すぎる明るい未来の物語にはできない。流石に安達さんの感性は相当なものです。差別的な意味ではなく、女性の感覚も生きていると思います。男の子の物語にすると、どうしても、女々しく悩んでないで、自分の道を切り開け!みたいな話になってしまうんだけど、それでは、3.11東北の大震災のその後は、文字通り”お話にならない”!って思いますね。指輪物語やハリーポッターのような話にはできない。だいたい明らかな悪者なんて出てこない。」

「その上で、でも、聖杯伝説的に描ききるってとこが、安達さんの腕の見せ所って思って見ておったんじゃけどな。見事に描き切った感、半端ないね。」

「清原伽耶、なかなかの難役、見事にこなしましたね。”おかえりモネ”のタイトルの核心に迫るシーン、「橋を渡って、帰る」シーンは、見事だったと思います。ずっと、仲間になれない、仲間になるには、何かが自分には足りない、って思い込んでいるというか、思い込まされている、誰に、何に???いや、結局自分の内面、分身なんですよね。自己の内部に、羊男ができてしまう。橋を自分で無理矢理にでもかけて、羊男のささやき(お前には無理なんだよ、だって、そうだろ、お前は、ソレを経験していない!)を無視して、一歩踏み出した!w」

「彼女、まだ、19だからな!蒔田彩珠は、18!なかなかの経験を積んでいるなぁ。素晴らしい。」

「まだまだ、物語の力、感じましたよね。」

「そう、ノーベル文学賞を見てもわかるように、現代のトレンドは、もっとわかりやすいお話に傾き過ぎていると思うな。」

「春樹さんがノーベル文学賞なかなか取れないように、こういう内面に向かい、そこでの葛藤を言葉ではなく、表情や動きで表現していく話は、評価されにくいと思います。しかし、見ている人たちの心の中に、何かが残る。そういうお話を勇気を持って朝ドラに持ってきた安達奈緒子さんの”男気”にも敬意を表したいですね。」

「現代のトレンドはもっと直接的な表現を好むんですよね、同じ村上でも龍さんの小説みたいな、ほとんどルポのようなものとかね。被害者が、現実的な声を上げて、前に進んでいくような、ね!」

「それって、でも、ね。それだけが物語の力じゃないだろ!っていうのがそもそも、文学にはあるはずなんじゃよな。」

「春樹さんがノーベル賞にならないのは、物語が内面的に複雑すぎて、なかなかわかりづらい部分がある上に、性交的な描写が多々あり、それが、ある種の”怖い”人たちから見ると、ただの大衆娯楽小説に見えるんでしょうね。」

「物語の力を発揮するための一つのキーとして、性的な描写が必然的に出てくるのは、男性作家としては自然じゃよな。オスの性として、そこには何かの鍵があると勘違いしてしまいやすいし、勘違いでもなんでも、そこから、別の物語が始まる最初の扉があいた感じが出れば良い訳だし・・・。」

「女性的ではないのかも知れませんね。川上未映子さんのような若い時から、春樹さんの大ファンを自称されている方でも、『そこはいらないでしょ!』って言ったりしているし。」

「ふむ、ジェンダーの平等などというような社会的な概念以前の、生物的なオスメスの違いは、如何ともしがたいノォ!wwwwwwww」

「本当は、もちろん、補助金などに関する詐欺まがいのことやもっと、質の悪い連中ももちろん、いるんだろうとは思いますけどね。」

「ソレは、ドラマの、または、物語の仕事ではないよな。」

「少なくとも安達さんは、ソレは自分の書きたいことじゃないって思っていると思いますね。」

「当然じゃろ、彼女は語り部であり、お話を紡いで次へ繋げるものじゃから。」

「最終的には、彼女(モネ)は何かの形で、大きな聖杯を手にするはずじゃよ。」

「それと同時に、ソレはもう、済んでしまったもの、終わってしまったものだし、そもそもそれってなんだっけ?って思われるようなものですね。」

「彼女は手にした聖杯を、火山の火口に投げ込み、振り返らないで、歩み去る。」

「しかしながら、そこから得た心の糧のような滋養分のような”何か”は、深く彼女を暖かく包み、そのことからくる溢れ出るような自信のような何かが滲み出るような表情になっている。」

「指輪物語のフロドのようですね。」

「そういう風になっているはずじゃよ。きっとね!」

「来週、フィナーレを楽しみにしましょう!」

「おお!wそうじゃな。」

「これからの清原伽耶、蒔田彩珠も楽しみではあるな。」

「いい女優さんになっていきそうですね。」

「変な役は断ってもねエエよ」


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