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普通の暮らしとSDGs

中尾「前回、エクアドルのマングローブ林がエビ池になったお話を伺いましたが、その数日後、今度はベトナムで、温暖化による海水の上昇で、田んぼに海水が入ってしまってお米ができなくなり、エビ池になったというニュースが流れました。
私はエクアドルのエビ池の話は、澁澤さんが30年前にマングローブの植林に行かれた時のお話だと思って聞いていましたので、『えっ今?』と急にリアルに感じて、思わずテレビを二度見してしまいました。」

澁澤「エビというのはエクアドルだけでエビ池を作っているわけではなくて、日本にはインドネシアやタイ、マレーシア、もちろんベトナムからも多く入ってきていますので、今でも現実として、その問題は進行しています。
ただ、前回の話は、エクアドルの人たちが、現金収入を得たいというので、マングローブを伐ってエビ池に変えている。今回のお話は、ベトナムの人たちは、田んぼを続けたかったけれど、そこに海水が入ってきて、エビ池にせざるを得ないというお話なので、別の話ですね。
なぜ、海水が入ってきたかというと、海面が上昇したからで、海面の上昇は、今は一般的には地球温暖化によって、地上に残っていた氷河ですとか、シベリアのツンドラですとか、地上の氷が解けていって、それが海に流れて海面が上昇している。それは地球温暖化の影響だといわれています。
その温暖化の理由というのは、世界中の所得の、上から10%の人たちが地球上の49%の二酸化炭素を排出していることによるものです。その10%には当然日本人も入るわけで、そこにはベトナムの人やエクアドルの人はほとんどいないのです。
エクアドルやベトナムの人たちが温暖化を引き起こそうとしているのではなくて、私たち先進国の生活がそういうことを起こしている。
以前、2019年にアフガニスタンで亡くなった中村哲さんと話したことがあります。
アフガニスタンの今回の問題の発端は、CNNニュースが、「世界遺産であるバーミヤンの石仏をアルカイダとか、ウサマ・ヴィン・ラディンが破壊した。あの野蛮な人たちがアフガニスタンでのさばっているので、世界の平和のために彼らを掃討しなければいけない」と流したのが、あの戦争が起きたきっかけでした。
中村哲さんはその時現地にいて、あれはいろいろな映像をCNNが組み合わせてつくった映像で、実際はどういうことかというと、アフガニスタンの人たちの農業というのは、ヒマラヤの氷河が解けて流れる地下水をそれぞれの町やそれぞれの畑にひいてきて、その地下水で耕作をするというのが彼らの農業のやり方なのですが、温暖化によって氷河がどんどん溶けていく。それによって地下水位がどんどん下がっていき、去年まで流れてきた運河に水が流れてこなくなった。これは、アラーの神が自分たちに怒っているのだろうと、お百姓さんたちは必死に何年もアラーの神に祈るのです。けれども、毎年毎年地下水が下がっていって、どんどんどんどん耕作ができない土地が広がって、自分たちは飢えるようになった。最後にたどり着いたのがバーミヤンの石仏で、異教徒のものをここに置いておくことをアラーの神が怒っているのではないかと、アフガニスタンのお百姓さんたちが、藁をもつかむ思いで、石仏を破壊したのです。その破壊した映像にウサマ・ビン・ラディンが、機関銃を打っている映像を重ねて、世界中に流したのです。アフガンに戦争が起きて、戦争が終わった後に、世界中のNGOが入ってきて、もう一度復興だという風にやっているけれど、彼らは首都のカブールで、みんなプールサイドで土日は休んでいる。本当にアフガンの人たちが望んでいた水をプールで使って、彼が「アフガンの人たちがアメリカだとか先進国に対して持っていた感情は絶対に良くならない。」と嘆いていたことと、とても通じる部分があります。
みんな良かれと、自分のやっていることは正義だと思ってやっています。週末にプールで泳ぐことを禁止されているわけではないし、それは西洋社会では当たり前の一つのリクリエーションなのです。ところが、本当に水と戦ってきて、自分たちのせいではないのに地下水は下がっていく。先ほどのベトナムの話も含めてですが、そうした先進国の引き起こした、しかもそれは先進国の特定の人や特定の企業ではなくて、先進国社会がつくっている『普通』という暮らしのレベル。それによって、地球環境が急激に変化している。それにどう取り組みかが環境問題のとても大きな課題です。」

中尾「意識の違い、暮らしの違い、価値観の違い、というものはどこかで埋められるものなのでしょうか。」

澁澤「それは、今のグローバル社会がつくりだしたものだといわれています。グローバル社会が作り出したというよりも、グローバル経済がつくりだしたものです。これからも情報化はどんどん進んでいって、グローバル化は進んでいく。だけど、それと同時に、あたかも隣のものを使うように、隣の山から木を伐るように、世界中の経済にのせて、エビも買ってくる、何も買ってくる、その消費だとか経済の形を見直していかないといけない。グローバル化という言葉と、グローバル経済という言葉は別の言葉だということを私たちは意識しないといけないということを教えてくれているのだと思います。

中尾「それは、貨幣価値が問題ですか?お金を一番に考えることが地球への負担になっているってことでしょうか?」

澁澤「貨幣価値の前に、欲望といえば硬くなるけど、私たちが生活を良くしたいとか、もっと便利にしたいとか、私たちの『もっともっと…』と湧き上がってくる感情をコントロールすることなのかもしれません。リオデジャネイロで1992年に世界の首脳が集まって、初めて『サスティナビリティ(持続可能な社会)』について話をしましたが、それから20年後、地球環境がどうなったかと、もう一度、リオに世界各国の首脳が集まりました。そこで世界一貧しい国いわれているウルグアイのムヒカ大統領が有名な演説をします。その中の一コマに、『貧しい人というのは、何も持っていない人のことではなくて、いくらあってももっともっとと欲しがる人のことを貧しい人というのだ』と、アイマラ族というネイティブの人たちのことわざを引用して、彼はスピーチをしました。
地球は、今の先進国の人たちの消費行動、『もっともっと…もっと便利に、もっと多く、もっとおしゃれに、もっとおいしく…もっともっと…』によってこの壊されてきているのではないか。
『何も持つなということではなくて、ほどほどに持って、けれど、一番重要なことは形のあるものではなくて、友情だとか、信頼だとか、家族への愛だとか、次の世代を思うことだとか、人間が幸せと思うために私たちは生まれてきたのであって、決してモノやサービスをたくさん得るためにこの世界に生まれて来たのではない』という言葉で彼は演説を締めたのです。

そんなに大それたことではなくて、例えばカバン一つ持つ。それを、丁寧に油を塗りながら使っていく。そうすると自分でしか持ってないものに代わっていく。それを楽しめるか、あるいは今年は新しいデザインのカバンが出てきたから、そのカバンを買う。そのかわり私はまた飽きてしまうから、安いものを買っておいて、毎年買い替える… 私たちのライフスタイルは、今はどちらでも選べますよね。どちらでも選ぶのではなくて、一つのものをきちんと長く使うとか、モノを大切にするとか、もったいないという心を生活の真ん中に置く、もう一つの心の余裕というか思いやりというか、そんなことを人に対しても、モノに対しても、自然に対しても持てる社会をどう作るのかを考えることかもしれないのですよ。」


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