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あたたかな風土

*この記事は2022年10月にyoutubeキツネラジオにて放送したものです。

中尾:
最近どちらかに旅をされましたか?
 
澁澤:
旅と言えるかどうかわかりませんけど、岡山県の真庭に行ってきました。そこで、ある村のコンセプトづくりの選考委員会の委員長をしているものですから、その村に行きました。
どう言うコンぺかというと、真庭の山の中に小さな盆地があって、そこには不思議なくらい多くの神社が集まっているんですね。主な神社が8つと、もう一つ大御堂(おおみどう)というたぶん奈良時代から平安の初期くらいにつくられたと思われるお堂が残っているんです。県の文化財の指定を受けていて、それを国の文化財指定にもっていこうかという議論をしているのですが、そこの地域も過疎に向かおうとしているので、その風景をどのように残すかということを見据えたコンペです。
ランドスケープといって、景観をつくって行くという分野があって、そのランドスケープの専門家たちが選考委員となって、この大御堂の過去のランドスケープ、現在のランドスケープを振り返りながら、将来にどうつなげていくかというコンペをやったんです。
14人くらいの大学の学生さんから実際にランドスケープを仕事とされているプロまで応募が来て、どれが良いかという順位づけをするという仕事です。
 
中尾:
楽しそうですね。
 
澁澤:
楽しいんですよ。
その大御堂は今でも祭りが多い場所で、百万遍という祭りがあるんですがわかりますか?
大きな数珠をみんなで一つずつ回していってお経を唱えたことになるということ。その百万遍の大きな数珠も残っていて、今でもその行事が御堂で繰り返されています。
そこに近江堂がつくられたのは、そのエリアが京都の仁和寺の荘園だったからなんです。その仁和寺をコンセプトに、というか真ん中につくり、横にお寺を創り、その前に京都に運ぶお米を集めて来て、そこは役場の中心でもある。その横に神社があって、年に一回周辺の大きい神社のご神体がそこに集まってくるのです。神社があり、横に仏教の仁和寺のお堂があり、一体となって運営されています。昔でいう神仏習合ですね。そのあとなんですが、その辺のお祭りですとか、お互いが協力し合って村内で当番制でやっていくとか、古い風習がとても残っているところなんです。
そこで気づかされたことは、祭りというと秋祭りだとか、神社に夜店が出て…と皆さん思われるかもしれませんが、祭りというのは「まつろう」ですから、人々が集まってきて何らかの行事をすることです。そういう意味では百万遍も祭りですし、祭りがずっとそこで続きながら神社が守られている。お神輿が集まってくるというのは神事ですよね。お神輿には神様がいる。それは最優先。だけど神事を残していこうとすると、それは面倒な時もあっただろうと思います。神様への信仰はあるけれど、信仰は厚い時もあれば薄い時もある。それをどうやって続けていくかというときに、昔の人は祭りという一つのことを考えたのではないかと思うのです。
祭りは自分の生活にじかにつながっているし、田畑の祈りにもじかにつながっていきますから、みんなそこでイベントというか、にぎわいをつくった。だけどその真ん中には神様がいる。神事という神様をずっとたたえるという行事と祭りという二つの行事があって、それをワンセットにすることが、少なくとも地域を続けていくことだと昔の人は思ったのではないかということに気づかされたんです。
例えば岡山でもお神輿という神事と、それから後ろについてくる山車。それがワンセットでそれがあるから神事が続く。ところが山車だけになってしまうとイベントだけになってしまいますから、いろんな方向に行ってしまうし、神事だけを残そうとすると年寄りだけになったり、特別に信心のあつい人だけがやることになるので、これも消えてしまう。
ところが神事と祭りをワンセットにすることで、祭りの核というか神聖の部分も担保されるし、祭りがあることによって神事が続いていく。昔の人は皆そう考えてきたのかな…だとしたらうまく考えたなと思いました。
話は飛躍しますけど、この間ヤクルトの村上選手が日本人で56本のホームランを打ったのは神宮球場ですよね。あの神宮球場は何でつくられたかというと、明治神宮と一緒につくられた。
明治神宮は神様のことを伝えていくために、今でいう神事なんですよ。
その周辺に明治神宮外苑というのがあって、外苑の中に神宮球場もあるし、秩父宮ラグビー場があるし、絵画館もあるし明治記念館という結婚式場もある。それらがワンセットで昔の人は明治神宮としてきたのです。片方でお金を稼いで片方で人の賑わいを作りながら、明治神宮という神様をずっと続けていこうと。昔の日本人の発想ってみんなそうなんだなということを改めて「社」という真庭の中の小さな仁和寺の荘園あとの盆地なんですけど、そこへ行ってすっきりと分かった気がしました。
 
中尾:
なるほど、腑に落ちたのですね。
 
澁澤:
そうすると、荘園も守られますから、田んぼも守られ、神事があるから自分たちが神様に食べていただく稲の田んぼと荘園の税金として納める田んぼ、それは別なんですが、それによって稲作として続いていく、集落もそこに関わっていることでつながっていく、自分たちは真庭の山の田舎の者だけど京都の仁和寺とつながっているのだという誇りもそこでできる。神事もそこで執り行ってそれも続いていく。まあうまくしたもんだなあと。
 
中尾:
なるほど。生きていくうえで必要なもの、心の支えとなる必要なものも全部ここで確保されるということですね。
 
澁澤:
僕たちは生きていくということが実態としてあって、神様って宗教だとか、新興宗教だとか今回の国葬の問題もそうだけど、要するに宗教と生活って分けているじゃないですか。だけど、昔の人は宗教とは言わない、神…神聖とか、霊性というか、霊的なものと生活がワンセットで自分の暮らしがあったと思うのですね。そういう意味で、宗教団体はどうかわからないけど、神様というものと一緒に生きていくという感覚は、少なくとも日本人にとっては大事な感覚なのかもしれないでしょうね。
 
中尾:
そうですね。多分守られている感というのかな、最近孤独を感じる人が多いじゃないですか。周りに人がいても家族がいても孤独というのは、たぶん信仰心という言葉は難しいんですけど、あるかないかで全然違うと思います。インドネシアに行ったことがあるんですけど、同じですよね。日常の暮らしの中に神様がとても近くて、それがとても懐かしい感じがしたんです。私が子供の頃は結構似たような感じで生活文化=神様という感じだったけど、いつからか段々宗教として分けられてきたんですよね。
 
澁澤:
昔は気配がありましたよね。
なんかふっと。獣の気配かもしれないし、風が吹くとか自然現象かもしれないけど、何らか気配を絶えず感じていましたから、あまり孤独という感覚はなかったかもしれませんね。
 
中尾:
こわさももっとありましたよね。振り返ったり、あれ?今誰か見てたかな…と思ったり。人でなくても何かを感じながら生きるってことかな。宗教って意識したことはないけど、それがこんな近代社会の日本にあって、それを感じられるというのはとてもあたたかいと思いますよね。
 
澁澤:
それがまさに今回私が行った真庭の山の中の社という集落。
 
中尾:
最近なくなりつつありますね。
 
澁澤:
そう、なんとなく、あぁ、あれは宗教だからって忌避(きひ)しているというか、現代人って、そうやって自分たちでその分心が休まらなくしてしまっているなと思いますね。
 
中尾:
よくわかります。
そういうこと、ちゃんと伝えていきたいですね。でもそれはそういう場所に行くことかも。その空気とか、風景の中に身を置くことですよね。
 
澁澤:
まさに風土という言葉なんでしょうね。
 
中尾:
そうですね。そういうの、もっと感じたいですね。

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