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「人生で何に時間を割くか」

中尾:
渋沢さんは70年生きてこられて、何に一番時間を割いてこられましたか?
 
渋沢:
多分ね、世の中一般的に言えば仕事なんですよね。
 
中尾:
多くの人がそう答えますよね。
 
渋沢:
ただね、仕事という定義が私にはよくわからない。
私はね、最初はJAICAの専門家でした。植物相手ですから休めません。帰国してからはオランダ村、ハウステンボスと、観光業です。これも休みの日が一番稼ぎ時ですから、休みはありません。そうするとね、どこまでが仕事でどこまでが休みかというと、一般の人に比べるとものすごくあやふやです。
 
中尾:
そうですね。私もそうですが会社に就職して、ずっと組織の中で生きてきたわけではないので、私たちは一般的ではないですね。
 
渋沢:
一番時間を費やしたのは仕事と言えば仕事なんですけどね。
 
中尾:
その次というと、お家のこととか、家族とか、そんなことは入ってきますか?
 
渋沢:
はい。私の妻は、結婚後に途中で大学院に戻りましたので、中学生の子供達二人がいて、その上当時NPOでしたから、勤務時間の中で一度家に帰って買い物をして料理をして子供たちを食べさせて、また職場に戻るとか、非常にフレックスでした。
家事をするようになってから、全部が見えるようになりましたね。
仕事だけをしているとその中だけが人生になっていきますけど、家事も全部すると、「生きるってこういうことなんだな」という、その実感は全然違いますね。
 
中尾:
家事と子育てをされたことで、澁澤さんはかなり早い時期に「生きる」という実感が身についていらしたんですね。
 
渋沢:
ものすごく教わりました。たぶん環境問題も同じで、環境問題だけやっていても解決しなくて、全部の中でじゃあどういう環境の中に生きるかということですから、家事を経験したことによって、どこまでが仕事でどこまでが家事なのかなんて、そんな線を引かなくなったことが私にはものすごくプラスになりました。
 
中尾:
仕事というよりは、食べることとか育てることとか、働くことをどういう割合で生きるかということかもしれませんね。
 
渋沢:
まさにそういうことですね。
 
中尾:
最近ね、男の人も育児を手伝うために会社を休みましょうというのが勧められていますよね。
育児休暇はとった方が良いですよね。
 
渋沢:
とった方が良いですし、男は絶対に育児に参加した方が良いです。
参加しないと自分の視野を狭くするだけです。
 
中尾:
こどもを育てるのって大変ですもんね。
 
渋沢:
一方それが、じゃあなんのために働くかという裏返しでもありますしね。
 
中尾:
生きる上で何を一番優先させるかですよね。
 
渋沢:
全部が全部そうではないかもしれないけど、会社から与えられたノルマとかルーティンをこなすことがお父さんもお母さんも絶対なことで、その中の余暇の時間に子育てということが入ってくる。それが果たしてまっとうな社会なのか。確かに働いていることで自己実現はできているようには思えるけど、その自己実現で得たお金でローンを払いますとか、ちょっと海外旅行に行きますとか、それが人間らしく生きることなのかということもね、考えなきゃいけない時期だと思います。そういうことを言うと怒られるかもしれないけど。例えば子育てを真ん中に置いたら、また違う世界が見えてくるでしょう。
科学技術が人間の未来を開いてくれるということも、たぶんないのですよ。人間はもっと欲深いですから、さらにその先その先を欲求するようになりますから。そう考えると、人間が自分の人生、あるいは家族の人生の何を真ん中に持ってくるかということが今問われているかもしれないんですよ。
それでね、江戸時代は子供を育てることが真ん中だったんですよ。
幕末に日本に来た外国人が書いた書簡を見ると、圧倒的に子供のことを書いたことが多いのです。日本人は本当に子供の天国だと。ものすごく子どもを大切にする。なおかつそれは男も女も関係なく、母親も父親も子供の世話をする。ヨーロッパでは考えられない風景だけど、朝の井戸の周りは、赤ん坊を抱えた親父さんの子供自慢の場所だというようなことが書かれているんです。その時の時代は何が一番重要なことなのか、江戸時代、150年前の話だし、人口も少なかったし、あんな時代には戻れないよねと平気で捨てちゃうんですけど、あの時の方がまともかもしれないんですよね。
 
中尾:
私もそんな気がします。わかりやすく言うと、鎖国で外と切れていたので、日本のことだけ考えていればよかったというのは生きやすかったかもしれませんね。
 
渋沢:
時代によって働くということ、休むということ、その意味ってこれから変わってくるんじゃないかなと思うんですよね。
 
中尾:
そんな気がしますね。今の人たちは子供を二人で一緒に育てるのはすごく当たり前ですよね。
 
渋沢:
ただ、子どもを保育園に預けるというのも当たり前なんですよ。
 
中尾:
そこですね。
 
渋沢:
それは、お父さんもお母さんも遅くまで働くから、会社がそう決めているというのですけど、そうでもないですよね。
 
中尾:
そうでもないし、高いお金を払って預けるのであれば、そのお金を削って一緒にいられませんか?って、思いますよね。
私はそっち派ですね。
 
渋沢:
まあ、中尾さんは子供さんがいらっしゃらないからそういうことが言えるのよねっていわれるかもしれませんけどね。
 
中尾:
よく言われますね。
 
渋沢:
若い人達はよくそう言って笑っている人がいます。保育園が高いの、家庭教師が高いのって?マークがつくことはたくさんありますね。
 
中尾:
言い訳に聞こえることがあるんですよ。正面から私はこれが大事です!と言って子供と過ごす時間を確保するとか、ある時期は家で子供と徹底的に向き合うとか、そんな風になると良いのにな~って思います。
私は子供を産んでいませんけど、基本はつなげることだと思っているので、産まないってどういうこと?って、30歳の時にめちゃくちゃ考えたんです。その時に出した結論は、ほかに役割があるということでした。それはきっと、社会の中の自分の役割をつくることで、それは自分の子供ではなくても、人を育てることや文化をつなぐことかなと。
 
渋沢:
産むって行為は女性しかできないじゃないですか、それはジェンダーのスタートラインだと思うんですが、仮に生むという行為が試験管の中で行われるような時代になったらどうなるんでしょうね。
 
中尾:
やはり、つなぐことだと思うので、それでも人間として育っていくのであれば、育てることが真ん中に来ると思います。
最近ジェンダーの問題がたくさんあって、男の子でも男の子が好きというのを公表しますよね。だけど、女の子も好きな部分もあって、結婚して、子どもも作ったけど、「やっぱりお父さん男の人が好きなんだ」と。3つ4つの子供に、お父さんは君が本当に好きなんだよ、君はお母さんと愛し合ってで生まれたんだよ、だけど本当はお父さんは男の人が好きだから、お母さんとは一緒に暮らすけどお父さんじゃなくなってごめんねっていう人を実際に見ると、ものすごく戸惑うんですけど、多様性を認めるってそういうことじゃないですか。
難しい問題だけど、ちゃんと育てるなら良しとしよう!と。
結婚していなくても、お父さんが男の人が好きでも、お母さんが女の人が好きでも、たまたま生まれたとしても、でも二人が自分の子供だからと、ちゃんと育てるなら良しとしようと思います。
 
渋沢:
そう、育てるということが真ん中に置く社会は健全だと思います。
ただ、今は育てるということがあたかもサービス業になっているじゃないですか。
 
中尾:
というと?
 
渋沢:
あの保育園、あの幼稚園はお受験が得なのよとか、ゼロ歳児保育から預けて、あんまり育てるということを真ん中に置かなくなりましたよね。
 
中尾:
それは働くということが真ん中なんですよ。親が働くことがね。
お金がないと育てられないという錯覚なんですよ。
 
渋沢:
悪循環に入ってしまっていますね。
 
中尾:
そうなんです。だからそっちを優先してしまうんですよね。その誤解がなくなれば、ちゃんと育てることが大事なんだとわかると思うんです。そこをどう作るかですよね。
 
渋沢:
変な話なんですけどね、コロナで少し状況が変わってきたんですよ。私がいる世田谷区ではコロナ以降、足掛け3年くらいですけど、幼稚園に入る子供が圧倒的に少なくなったんですよ。
 
中尾:
家で過ごすってこと?
 
渋沢:
そう、家で過ごすってこと。
 
中尾:
へえ~、それを親が望むってこと?
 
渋沢:
親が育てるということを真ん中に置く暮らしを、ちょっと気づき始めたようですね。
 
中尾:
素晴らしい!!
やっぱり、社会に応じてというか、時代の流れでその時に起こったことが人や社会を変えていくんですね。
 
渋沢:
重要なことだって気づき始めると、働き方が変わってくるんですよ。
その働き方を否定するような社会でもなくなってきているということですよ。
 
中尾:
なるほど。それは面白いですね。
こうやって価値観が変わっていくと良いですね。

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