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都市のあり方が変わる

―中尾
10月と言えば…

―澁澤
10月は、山はキノコのシーズンですね。
そういえば、先週うちの近くの公園でトチの実を拾いました。

―中尾
あら、素敵ですね。どうされたんですか?

―澁澤
二つだけだけど、今年こそはトチもちを作ろうと思います。

―中尾
二つで?(笑)

―澁澤
サトウの切り餅の1枚か2枚くらいのトチ餅ができるだろうなと思っています。

―中尾
大変なんですよね。トチ餅って。

―澁澤
灰汁を抜くのが大変ですね。

―中尾
じゃあ、今年は私もトチ餅をいただけるでしょうか?

―澁澤
いやいや、中尾さんにお配りするほどはできないと思います(笑)
去年はあく抜きの途中で失敗して、影も形もなくなってしまいましたので…

―中尾
ところで、澁澤さんは、普段は一年の3分の2くらい東京にいませんよね。

―澁澤
3分の2以上いなかったですね。それがこの2年間はほぼ毎日自宅で夕食を食べる生活ですね。

―中尾
外に出られませんよね。どうですか?東京、こんなに長くいて…

―澁澤
東京といっても、若者の街の渋谷だとか新宿だとかは、おじさんたちはまだ行く勇気がないですね。

―中尾
私もまだないです。これから東京はどうなるのでしょうね?

―澁澤
東京って、やはりすごく特殊な街だと思いますね。ニューヨークに、とても似てきたなと思います。一生住んで子育てをして…という街ではだんだんなくなってきました。東京は基本的にはお金があれば楽しい街です。
人生のある部分、あるパーツなのか、ある時期なのか、思いっきりグローバル相手に、世界を相手に、それからいろんなことの才能を試してみて、人生の舞台の上で踊りを踊る場所としての機能になってきている気がします。

―中尾
私は大阪…地方からやってきたので、まさにそういう風に考えてきましたけど、東京に生まれ育って、故郷が東京だという人にとってもそういう街ですか?

―澁澤
私が子供の頃は、東京は住む町でした。子供を育てる街でした。それくらい、周辺に畑もたくさんあって、生産という機能をたくさん持っていたのです。それは、農作物の生産だけでなくて、職人さんたちもたくさんいらっしゃいましたし、部落と呼ばれていた方々が、竹細工やわら細工をやっていて、ちょうど今の季節、稲刈りが終わったくらいの時期になると、それを持ってこられて、普通の一般家庭のざるだとか、箒だとかを替えていくということがありました。生活の周りに生産があって、消費があって、それが循環をして、汲み取りの車が来て、それが汚泥になって、それがまた肥料になって、また土に戻ったり、循環のある町でした。だけど、この50年東京に住んでいてつくづく思うのは、ワンウエイ。消費をするだけ。それからどんどん科学技術を高めていく、モノを積み上げていく、直線的な街になって、循環をしていくという機能がほとんど今の東京にはなくなってきましたね。

―中尾伊早子
それは東京だけではないかもしれません。

―澁澤
そうかもしれませんね。ニューヨークに近くなってきているというのはそういうことです。
何かを発表したり発散したり、金銭的な経済的な成功をしたり、機能としてはその部分がものすごく研ぎ澄まされてきました。そういう人たちは東京という場を利用しやすくなった。
ところが、今度はインターネットの普及で、何も東京にいなくても成功できるようになってきてしまった。時代に置いていかれているなと、久しぶりに一年半東京にいて思うようになって、私には身に染みて、ちょっと寂しい感じがします。

―中尾
家で仕事ができるということは、東京だと残念に感じますね。
田舎だと、東京の仕事を田舎のお家でできるとなると、とても豊かな感じがします。
実際に、私の友人のお姉さんも、東京で働いていましたけど、ステイホームになって、だったら…と千葉に引っ越して好きなサーフィンをやりながら仕事をしています。
そういうところに住みながら仕事ができるようになるのは、生活に豊かさを感じますね。
それに比べると、東京の家で仕事をというのは、とても窮屈に感じます。

―澁澤
そうですね。子育てだとか、生活となると、マイナスな面が今回のコロナですごく浮き彫りにされてしまいましたね。だけど、東京の集積機能みたいなものを捨てられないために、今おっしゃった方々もものすごく遠い田舎には行っていないのですよね。

―中尾伊早子
そう、千葉です。

―澁澤
東京に車や電車で1時間とか、長くても2時間圏内くらいの田舎にわーっと出ていかれたという感じがしますね。

―中尾伊早子
ちょっと郊外というのが暮らしやすいのかな。
でも東京はやっぱり国の中心なので、そういう意味ではここで暮らす人たち、働く人たちの役割分担みたいなこともありますよね?

―澁澤
これは考え方なのだと思いますが、「国」というのも、そもそもどういうものかを考える時期かもしれないですね。コロナのことも、国が何とかしてくれると思っていました。

―中尾伊早子
国が決めることだと思いましたよね。

―澁澤
国というのは、漠然と何かあるのだろうと思っていましたが、一年半経ってみて、みんな自分で定規を持ち始めましたよね。国に決めてもらおうとはもう思わなくなって、自分たちの「危ない」という範囲が人によって違って、まだマスクをされない方もいますけど、道を歩いていてもマスクをしない人を見ることが稀になりました。それぞれで、自分の距離感だとか、衛生観念だとか、手の消毒だとかに気を付けて、だけど、つい先日のシルバーウイークは旅行にでたりしてすごい人出があって、だれも国というものを信用していないとは言わないけど期待をしなくなって、全部国に任せておいてはいけないと気づいた。となってくると、これからは国だとか都道府県という意味が変わってくるかなと思います。
この状況下でもたまにお会いしたり、ネットでzoomを通してだけど頻繁に会う人たちのコミュニティは濃密になっています。一方で、家族だけで、部屋の中で誰にも会わずにこもっているということが無理だなとわかってきて、外の人と何らかのコミュニケーションをとることの重要性もあぶりだされてきた。だけど会える範囲は何万人ではないわけです。多い人で何百人、普通は何十人、何人かもしれない。そのくらいの単位が自分にとって大切で、国だとか県だとか、今までものすごく大きな権力で自分たちの人生や生き方を規制していると思っていたものが、それは絵に描いた餅だったのではないかと、当たり前のことなんだけど、改めて気づかされたのかもしれません。

―中尾伊早子
この間、オーストリアのある地域の普通の生活をテレビで見たのですが、家の中のことはほとんどDIYで、水道や電気の不具合を直したり、屋根の修理をしたり、窓を付け替えたり、ほとんどのことをご自分でされるんです。
これだけお家にいる時間が長いと、ここがこうなると使いやすいとか、自分で暮らしを作るというのが、楽しくなると思います。
今は大工さんや電気屋さんがいるのが当たり前だと思っていますけど、澁澤さんの授業でよく出てくる「お百姓さん」というのは百の仕事ができる人だといって、家のことは全部自分でされていたといいますよね。
今ならそういうことも楽しみながらできる気がします。

―澁澤
それを、不便と考えるか、楽しいと思えるか、思い方ひとつですよね。
そんなことを今、少し、感じ始めたのかもしれません。そんな時代になっていくと、また東京の形は少し変わってくるかもしれないし、東京というより都市の形が変わっていって、持続性が都市にも少し見えてくるかなと思います。今の東京の在り方、消費だけの場所としての大都市の在り方は、将棋でいうと何手か先に詰まっているのがはっきり分かっているという状況だと思います。それを打破するのが、少し煩わしさというのを楽しさに変えていく。その中で自分の生活を作っていく、あるいは地域のコミュニティを作っていくことに喜びを持っていく、価値観の転換をどうできるかにかかっているように思います。
江戸の末期の頃は、お蕎麦屋さんとほぼ同じ数の古着屋さんや古道具屋さんがありました。リサイクルショップで江戸の経済は成り立っていました。それはまさにDIYの町だったんですよね。今リサイクルショップや古着屋がどんどん増えています。自分たちの暮らしを自分たちの手をかけることで作っていく。それは煩わしいことではなくて楽しいことだという、それを押してくれる転機に、このコロナがなればよいですね。


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