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変わりゆく名人の在り方

―中尾
「聞き書き甲子園」が20周年を迎えられましたね。

―澁澤
第20回目の聞き書き甲子園が無事先月終了しました。

―中尾
20年凄いですね。

―澁澤
聞き書きって、前にもここでお話ししたと思いますが、二人の対話から始まるんですね。聞き手と話し手。対話の中で、話し手の言葉だけを残して、聞き手の言葉を全部取って、話し手の一人語りとして作品にはとどめる。その人の人生の証ですね。そんなものを作る作業なのですけど、当然会話を録音しなければいけないんですよ。20年前はね、まだパソコンもありませんし、スマホもありません。

―中尾
えっ?そうでしたっけ?

―澁澤
大人の道具としてパソコンはありましたけど、ワープロですよね、その時代は。みんな手で書いていました、文字起こしを。しかもテープレコーダーでした。
今でも覚えていますけど、第2回目からNTTドコモがスポンサーについてくれたんです。当然ガラケーの携帯電話ですけど、それはもう貴重品で、高校が持つなんてことは考えられない時代だったということですね。

―中尾
そうでしたっけ… 早かったですね。

―澁澤
わずか20年で、今の高校生たちはスマホでボイスレコーダーの代わりをしていますから。

―中尾
じゃあ、20年前の学生たちに比べたらものずいぶん楽になったんですね。

―澁澤
尚且つ翻訳ソフトなんていうのもありますから、そういうのを使っている子まで出始めました。

―中尾
うわあ~、もう時代が変わって来た感じですね。

―澁澤
それが果たして良いのか悪いのか…ということですね。

―中尾
聞き書きですもんね。本当は書いてほしいですよね。

―澁澤
そうなんです。相手に自分を重ねていって、相手の気持ちになってその言葉を引きずり出してくるという行為ですから、それを機械に頼ってしまうと、自分を相手に重ねられないんですよね。

―中尾
そうですね~。

―澁澤
尚且つ、今回のコロナでオンラインが主流になってきたじゃないですか。
実は聞き書き甲子園も今年度はオンラインの取材だったんですよ。
するとね、出てきた作品を見ると、みんな力作なんですけど、ノウハウ集になっているんですよ。要するにデジタル情報だけがずっと連なってくる。例えば炭焼きさんだったらどういう方法で炭焼きをする、例えば漁師さんだったら、どういう網で、どういう漁法で、採りますよなんです。その時その人がどういう思いだったかとか、それが日々の生活の中でどういう行為だったかということが、それがZoomの画像情報と音声情報ではどうしてもわからないんです。

―中尾
そうですね。その場の空気の冷たさだとかね~。

―澁澤
そう、通じないんですよ。相手の言葉の行間を読み取らなきゃいけないし、その中でうれしそうなことだったのか、悲しそうなことだったのかとかね、そういうことから次の会話が進んでいくわけですよ、普通の一対一で会うと。ところが、パソコンを通じての会話になった瞬間に、向こうから文字情報だけを引き出そうとしてしまいますから、心が通じないんですよ。
その代わり、どういう漁法なのかとか、どういう木の伐り方なのかというのは、まさにマニュアル本ができるようにバチッとできる。いままでは、その部分がもう少しちゃんと聞けていたらなあと思うことが多かったんです、相手の人柄はできてるんだけど、もう少し手わざのこととか、自然の見方とかを、突っ込んで聞いてよというのが多かったんですけど、今年はどういうやり方かということはばっちりできているのですが、どういう人柄かということがなかなかかけていないのです。

―中尾
例えば網にしろ、道具にしろ、触った時の感触ですとかね、そういうのもわからないですよね。

―澁澤
重さもわかりませんからね。伝わらないです、なかなか。こんなにやっぱりソーシャルネットワークが伝わらないものなのかということが逆にはっきりよくわかりました。
つまり私たちのコミュニケーションが、いかに目と耳だけではないものに頼っているかということもよくわかりました。

―中尾
そうですよね~。散漫というわけではなく、その場で一緒にいるだけで、お話している向こう側が見えたりとか、匂いがしたりとか、違う音が聞こえてきたりとか、いろんなことが気になりますよね。

―澁澤
最初の頃、テープレコーダーに録って、それを一字一字鉛筆でかきながら、どういう意味かって言って何回もテープレコーダーを巻き戻して聞いていた頃の学生と名人と言われているお年寄りたちとの距離感と、今のzoomを通して相手の声を録音してそれを翻訳ソフトにかけてという形で出てきた作品とは明らかに胸を打つ部分が違います。

―中尾
そうですよね。あと、名人の方のご年齢も変わりましたよね?

―澁澤
もう私より若い人たちばかりです。

―中尾
そうでしょ。そうすると私くらいの年齢の方たちですよね。生きてきた時代が違いますよね。
これを始めようといったときに残したかったものと、今聞いてきて残しておきたいものとに変化はありますか?

―澁澤
当然、例えば職人さん一つとっても、20年前の親方は口では絶対に教えてくれなかったんですよ。ところが今は、親方と言えども、理路整然と説明ができて、あるいは図面からちゃんと説明ができないと親方になれないんですよ。

―中尾
なるほど。変わって当然ということですね。

―澁澤
ノウハウ本で伝えていくものであって、五感で伝えるものではなくなった。それくらい日本も変わったということかもしれません。

―中尾
だけど、それはその時代として残していくということが記録ですものね。

―澁澤
それよりも、残す以前に、名人と少なくとも会う、ジェネレーションの違う人に会うという機会をセットするということが、今の一番の目的になっているかもしれませんね。

―中尾
そうですね。でも、話せない、説明できなかった親方の方が、聴き手は一生懸命聞こうとしますよね。知ろうとしますよね。

―澁澤
知ろうとします。
それからその時代につないできた、つまりそれまでの職人さんたちって、親方と同じ手を持ちたい、親方と同じ目を持ちたい、そういう感覚を親方と同じように共有した時に初めて自分の完成品をつくれた時代なんですね。それが、右から左までが何センチで、深さが何センチでこういう曲線をコンピューターにインプットしてできてきた作品が同じものなのか、違うものなのかという話なんです。つまり、ぼくたちは明らかに違うものだとわかるのですが、触った時もみた感覚も温もりも。だけどもうわからない人たちの方が多くなってきて、わかる必要がないと社会が思ってきているのかもしれないのです。

―中尾
それはそれで良いのですか?

―澁澤
だけど、それは当然自分のカラダとか身体性からどんどん離れていくという行為でもあります。

―中尾
ということは、自分が存在する意義というか、もっと基本に帰ろうよと私は思う方なんです。
と言っても基本って何?ってこともあるんですけど、生まれた時から電気があったり、それが基本だとまた違うので、難しいんですけど。

―澁澤
基本は身体でしょうね。

―中尾
その体の中に精神もありますよね。心身が元気であること、心身を動かせて、生きていることを実感できる、そういう仕事ができている人がうらやましいと思うんですけどね。

―澁澤
それが幸せと思えるってことでしょ?
だけど、今の僕たちのからだって、いくらでもAIとIOTでコントロールしようと思えばできるようになってきていて、自動的に栄養補給をすることもできるようになってきて、頭の中の快楽をずっと追い求めて、脳内ホルモンをコントロールしても良いように、それも選べる状態ですよね。その時、幸せというものをどこに求めるのか、人によって、また時代によって変わってくるということです。

―中尾
そうですね。しわせって何かということをもっとみんな考えた方が良いですよね。

―澁澤
聞き書きでできることは、聞き書きの作品集の中に真実があるわけでもないし、未来があるわけでもない。私たちが変わってきたという歴史はその中に見ることができるけれども、じゃあ私たちがこれからどう進もうかということは、たぶん私たちのそれぞれの心の中にしかないのだと思います。

―中尾
一期生のカップルが田舎に行かれましたよね。私はとても幸せそうに暮らしているように見えるのですが、澁澤さんはそういう若い人達をどうご覧になりますか?

―澁澤
あの彼らが入っていった集落も、彼らが聞き書きした、かつてのおじいちゃんの暮らしではもうないわけですよ。

―中尾
違いますか。

―澁澤
彼らは彼ららしく生きる良い場所に出会ったと言えると思います。

―中尾
でも、自分たちがその村にはいる時には、そこで生きた人たちの暮らし方に近づけるような、さらに今の自分たちの暮らし方もプラスαしながら、そこで持続可能な暮らしができるといいなあと少なくとも感じていますよね。

―澁澤
そうですね。それが聞き書き甲子園というものの一番の目的ですね。持続可能かどうかは別としても、少なくともしあわせと思える暮らしができればよいなあと思います。

―中尾
そういう人たちが生まれているというこの活動がとても素晴らしいと思います。

―澁澤
そうですね。手前みそかもしれませんけど、少なくともそういう場を提供できただけでも、良かったのかなと思います。

―中尾
20周年、おめでとうございました。

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