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どうせ引くなら足より手を選びたい

最近、何気ない瞬間にふと立ち止まって客観的な視点から物事を見てしまうことがある。
その中で気付いた気付きを言葉にしていこうかなと思います。

足を引っ張るという言葉が世の中にはありますが、
力が及ばないのは致し方ないとしても、引きずりおろしたり道連れにしようとされることに不満を感じることが増えてきた。

それは何故だろうか?
そこから何も生まれないことに気付いてしまったからだと思う。

ここ数年、様々な価値観に触れる中で気付くこともたくさんあり、
その中で生まれた気付きなのだと思う。

最近、よくradikoを使ってラジオを聞く。
そして、radikoで聞きたい番組を一通り聞いたら今度はvoicyという音声配信アプリを使って気になったコンテンツを再生していく
その中で様々な気付きに出会える。
私の気のせいか分かりませんが、様々な中身があるお話を聞くと、なぜこの人はこう感じてこう動こうと思ったのか。そして、自分はこれからどうありたいと思うのか。と考える。
考え始めるには10年遅いぐらいだったが、人生に迷いが生じ始めている自分にはいい意味での刺激となる。

そして、voicyで配信されている内容を聞きながら、自分はどう思うかとか考えられた時には、配信者から手を引っ張ってもらえた錯覚に陥る。
多分ですが、新たな世界を知りまた一つ自分と言うものを確立できた(錯覚かもしれないが)気分になれるからだと思う。

他人と関わる足は引っ張られるだけだけど、
手は差し伸べたりまた新たな世界や上に引っ張ってもらえたりと活用策も増えていく。
本当にありがたい。

人と接することが億劫だと思う瞬間があって全てを放してしまいたくなっても、また別な人を求めてしまう。
それの繰り返し。

私の言葉が読んでくださる方の何かの一助になれば幸いです。


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