I can't...

今でこそ英語を使って仕事したりしてるので、英語が堪能なのかと思われるかもしれないが、全くそんなことはない。

毎日毎日リスニングやったり独り言言ったり本読んだりして、やっとのことでアメリカにいた頃に少しは身につけたと思われる英語力を維持するのに必死なのだ。

家の近くの公立中学に通っていた頃は、比較的英語という科目が好きだと思っていた。

しかし、高校に入って周りがほとんど帰国子女という環境になると、自分の英語の出来なさが際立つようになった。一学年240人のうち、三分の二は帰国子女で、僕のような一般生と呼ばれる生徒は80人しかいなかった。能力別のクラス分けだったので、当然一番初級者のクラスにぶちこまれて、英語はいきなり苦手科目になってしまった。

初級クラスは日本人教師による授業で、教科書はNew Horizonを使っていた。まあ、中学の英語の授業と比べてもほとんど代わり映えせず、面白味はなかった。もちろん、そんなこと言える立場ではなかった。上級クラスはネイティブの教師でシェークスピアのマクベスなどを読んでいたので、もしそういうところに配属されたとしても、叱られた犬のように意味がわからないまま、ただうなだれるだけだったはずだ。

英語の中でも文法がとにかく苦手だった。もちろん、リーディングもライティングも当然苦手だった。自分には語学のセンスは無いものと結論を出した。

ただ、そんな語学センスの欠片もない人間にも唯一得意と言えるものがあった。それは発音だ。僕は言語の発音はモノマネと考えている。正しい発音をしようとするのではなく、モノマネをすればいいわけだ。

大学一年生の時、僕の行っていたところはフレッシュマン・イングリッシュといって一年間ほとんど英語の授業しかなかった。そして、その中にPronunciationという発音を勉強するためだけのクラスがあった。リーディングのクラスなどはTennessee WilliamsのThe Glass Menagerieを読まされたりして、叱られた犬のようにちんぷんかんぷんだったのだが(今読み直したらわかるだろうか…)、発音のクラスだけは気が楽だった。むしろ楽しかった。英語砂漠の中で見つけたオアシスだった。

そのクラスで、ある時僕が "I can't" を「アイ・キャーント」と発音していると、先生に「そうじゃない、アイ・カーントと言いなさい」と注意された。

僕としては今まで中学でも高校でも「アイ・キャーント」で何の問題もなく生きてきた。誰からも後ろ指さされることはなかったのである。ところが、実は「アイ・カーント」が正しかったのか!?晴天の霹靂!?と多少疑いつつもネイティブの先生だったし、なんとなく納得させられてそう発音するようになった。

今にして思えば、先生はイギリス人だったのだ。ブリティッシュ・イングリッシュの発音をもとに指導していたわけだ。

当時僕はアメリカン・イングリッシュもブリティッシュ・イングリッシュも聞き分ける耳を持っていなかったので、全然そのことに気が付かなかった。だけど、自分がイギリス人だからといって、アメリカ英語の発音を正しくないとして矯正しようとするのは先生としてどうなんだろう?と思うのだが、どうなんでしょう?

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