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どうも、木内です。

こんにちは。
木内です。

前回の佐渡島さんの本についての記事を読んで下さった方はありがとうございました!
最初にこの記事を書こうと思っていましたが、佐渡島さんのおかげで自分と向き合う時間を過ごす事ができ、今一度自己紹介という事で書いていこうと思います。

今回はお会いする方によく「どういう経緯で幻冬舎に入ったんですか?」とよく聞かれるのでその経緯を中心に書いていけたらと思います。


755との出会い

まず、最近の僕の話を語るには外せないのは755の存在です。
755のユーザーネームはきゅーちゃんという名前でやっていました。
何故かと言われると現実世界でも呼ばれた事のないあだ名でやりたいなと思っていた時に言いやすいきゅーちゃんという名前が良いなと考えてその名前で755を始めました。

そして始めたキッカケですが、みなさんの中にも記憶の片隅にかもしれません。

「AKB48とも話せる時代になった。」

このCMを見たことがある方は多いかもしれません。

僕はこのCMにまんまとやられて面白そうだなと思って755をインストールしました。笑

そう、755を始めたキッカケはアイドルが好きだったからです。

AKBを好きにならなければ見城さんとも出会わず、今の自分はないでしょう。


見城さんとの出会い

AKBとの出会いにより755を始めて2ヶ月が経ち、家に録画してあった「成功の遺伝史」という番組を見ていると755でよく見かけた方がテレビに出ている。

それが、見城さんでした。
最初はミーハー心でやじコメ(いわゆるリプライ)をしてみました。すると、

見城さんはきたやじコメに対して全て返すというポリシーのもと僕のやじコメを返してくれたのですが、この見城さんの誠意に惚れ見城さんのトークを見続けることになりました。

この時点では先程も言ったように見城さんを知る事すらなかったので今までに感じたことの無い心に突きつけられる文章に驚きの連続でした。

僕の中では一般のユーザーのコメントを返すという事自体が非常に衝撃的で、それに加えて内容がとても濃い。
こんなSNS体験したことないぞ!と毎日足蹴に見城さんのトークルームに通っていました。

見城さんの755を見始めて4年が経ち、見城さんが紹介していた湯治場ルフロというお店に行ってみようと思い、行ったタイミングで見城さんとまさかの遭遇。

まさかのまさか。本当に偶然なんです。
それから見城さんにお誘いを頂き、幻冬舎のアルバイトとして箕輪さんの下で働く事となりました。


755とは見城徹である。

3年前の19歳の頃、見城さんのトークに出会い見城さんの投稿する文章に寄り添い物事を考えているだけで自己と向き合う時間を与えてくれていました。そして、絞り出した拙い文章を書き続けて自己研鑽し続けていました。
見城さんがよく仰る、

自己嫌悪
自己否定
自己検証

これを日々、七転八倒しながら見城さんと向き合い、自分と向き合っていました。

何故、755というSNSがあまり知られていない中で深い熱狂が生まれているかというと『たった一人の熱狂』という本が丸々一冊出来てしまう程、圧倒的に濃度の高い文章を無料で読む事が出来て、濃密な投稿をする見城さんと交流が出来てしまうという事です。
(これから、新しく『読書という荒野』も出版されます。)

僕はその素晴らしいコンテンツをこの3年間使い続けて今があります。
見城さんが755に居なければ755は成立しないでしょう。また、見城さんが755に居なければ今の僕はありません。
755とは見城徹であり、755とは熱狂の渦なのです。

19歳で始めた僕は22歳で幻冬舎に入らせて頂きました。
見城さんとの出会いや箕輪さんとの出会いがあるのは755のおかげです。


是非、皆さんもあの熱狂の渦を覗いてみて下さい。


最後まで読んで下さり、ありがとうございます!

もし、このnoteを読んで興味を持って下さる方がいらしたらTwitterでツイートかDMを頂けるととても嬉しいです…!

箕輪さんの後輩として箕輪さんの仕事を近くで見ている1人として色々お話しできる事があると思います。
記事への寄稿や取材などお仕事もお待ちしてます!是非、宜しくお願い致します。

お話聞いてみたい方などもいらしたら是非ご連絡ください。
よろしくお願いします。

木内旭洋

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