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【脱線】私を形作ってきたもの-会社編③

意外と長くなってきました。笑
思考整理のために書かせてください。

私が勤めていた会社は、大企業の地方子会社。
従業員数は100名以下。

事務所移転や組織替えなどで①に出てきた40代男性が私の上司になり、ふたりで会社の経理、労務、人事、庶務、総務を担うことになりました。

経理面では、借入金もなく、資金は潤沢だったので、資金繰りの心配はなく、基本的に穏やかな現場でした。

あとは給料計算、勤怠管理、社会保険の手続き。

本社対応、来客対応、などなど。

とても恵まれていたなと思うのは、小さな会社だったので、全ての業務と資金の流れを見ることができたこと。
大企業の子会社だったので、しっかりした指導を受けることができたこと。

で、前回の「変なの」に戻ります。

浮いた経費が従業員には還元されず、それによって得た利益はどこへ行くのか。

それは、「株主」でした。

年に一度、利益の中の結構な割合の金額が株主配当として拠出されていきました。

当たり前やん?と思う人もいるかもしれません。

でも私の感覚とは違っていました。
私は、みんなでがんばって働いたんだから、従業員に還元したらいいじゃん!と思っていました。
そういう仕組みでしょ?と。
それは本当に感覚的にそうやって社会が成り立っていると思っていたのです。

でも働き始めると、それに沿わない動きが出てくる。
あれ?私が思っている仕組みと違う?
なんで働いてもいなくて、何年も前にお金を出したっきりで、年に一度やってきて、報告を聞くだけの人たちに毎年お金を払わなきゃいけないんだろう?

と思っていたところに会社法に触れる機会がありました。

そこには株式会社とは、事業の運営を通じて利益を得て、その利益を株主に分配することを目的としていると書いてありました。

私は株主配当はおまけみたいなものだと思っていたんです。
利益が出たからおすそわけ、的な。

それが存在の目的だったなんて!

私たちは株主様のために、経費を見直し、効率化を図り、日々の大半の時間を使っていたのか。

サービス残業が美徳とされ、熱があっても会社に来ることを上司が自慢げに話す現場と、毎年淡々と営業利益2%アップを求めてくる親会社。

染みついていた感覚と事実のズレがあって、そこに気持ち悪さと納得のいかなさを感じていました。

サービス残業などが美徳とされるならば、会社の方はなんとかして従業員に還元する方法を考えて欲しいし、2%の営業利益のアップだけできてればいいのなら、もっと割り切って仕事をしていけばいい。

ズレの正体は、現場に流れる従来の日本人的な働き方や考え方と、資本主義的な会社運営がマーブル状に混ざり合っている現実、なのかなと。

私の会社は、田舎にあった下請けの小さな会社が、大企業の子会社になったばかりだったので、特にこの傾向は顕著にあったかと思います。
(ホールディングス化が推し進められた時代でした。)

会社のために頑張ればきっと自分にもいいことが起こる、会社は従業員の幸せを第一儀として考えてくれているという現場に流れる幻想と、株主の利益のために淡々と動く現実。

過労死という言葉が海外にはないらしいと聞いて、同じ資本主義の中で動いているのにどうしてだろう、と思っていたのですが、もしかしたら過労死の何割かはその狭間で起こっているのかも知れない、と思いました。

ジブリの映画を見た子どもが、自分も飛べる!と思って怪我をするように。

純粋で真面目な人が、3丁目の夕日みたいな映画や物語で刷り込まれた社会感を持って、頑張って頑張って追い詰められていくのかも知れない、と。

そんなのは嫌だな、と思ったので、この会社の空気に呑まれないように、ひとりで資本主義的な働き方を実行してみました。

やるべき仕事はこなす。
5時には帰る。
有給休暇を取る。取る時に理由を書かない。

それだけですが、それだけですごい逆風を感じました。
時々、嫌味も言われるし、変な感じで笑われる、変わった人だと言われる。
若い女性(当時)、ということで許してもらってた部分も大きかった。(これは幻想を逆利用した感じになった)

そういうことがなぜ起こるのか。

その人たちは「そういうものだ」で思考を止めているんです。
上記に書いたような「頑張ればきっと自分にもいいことが起こる」ということも考えていないようでした。

なぜ頑張るのか?→そういうものだから。今までもそうしてきたから。

という。

だからそれと違う動きをする人間に苛立ちを感じるようでした。
乱さないでくれ、と。

その辺までを感じ取って、私は諦めることにしました。
私はこの社会で働くのには向いていないようだ、と。
(経験値の少ない私にとってこの会社=社会でした。)
それからは仕事の時間は「無の時間」と設定して働くことにしました。

働くってそういうことなんだな、と思った20代半ばでした。

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