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珍味⑦ シュールストレミングの悪臭と豊潤

発酵錬金術師こと、発酵学者、 農学博士である小泉武夫さんの著書『奇食珍食』、『くさいはうまい』や『不味い!!』に、たびたび登場する

シュールストレミング。

スウェーデン産の塩漬けニシンの缶詰なのですが、強烈な悪臭から、現地では河原で開封しなければならない、風上で開けてはいけない(風下に人がいないことを確認)、周囲50メートルに人がいないことを確認しなければならない、などのルールがあるとか、「世界一臭い」といわれ、エピソードに事欠きません。

なぜ、それほど悪臭を発するかというと、塩漬けにしたニシンを加熱せず、

缶詰で密封し、嫌気発酵させ、缶詰の中でひたすら発酵が進むためだそうです。

発生したガスによって、缶詰は膨らみ、缶切りで開ける時は、悪臭をまとった中の液体がいきおいよく飛び出すため、人がいるところでは開けてはいけないそうなのです。

まるで凶器のような食べ物です。エスキモーの伝統料理であるキビヤック(アザラシの腹の中に海鳥を放り込み、数年地中に埋めて発酵させ、海鳥の肛門から内臓をすする料理!)と並んで、

シュールストレングもぜひ食べてみたいと思っていました。

人間も食べ物も食べず嫌いはしない方です。その上、好奇心が警戒心より勝るタチでもあります。

世界一臭いとはいったいどれほどの匂いなのか、気になって仕方がありませんでした。

気になりつつも、煩雑な日常に流されて、忘れかけていた頃に、

「珍しいものを食べる会」という、好事家の会に参加することになり、そこで食べることができました。

千葉寄りの江戸川河川敷で、ほかの臭い食べ物(ドリアン、臭豆腐など)とともに、

シュールストレミングを楽しむ催しでした。

シュールストレミングの缶詰は、予想していたものよりも大きく直径20センチほど。中でガスが発生しているのでしょう、やや丸く膨み、缶詰のシャープなフォルムが柔らかくなっていました。

ガスマスクを被り、裸に赤ふんという異様な出で立ちの男性が、缶詰を開ける係で、

やおらにシュールストレミング缶を芝生の上に置き、自分は覆い被さるように屈んで、缶切りを缶詰に差し込みました。

すると、ブシャーとスプレーのように噴き出す液体。

すごい、ガスマスクの男性の頭よりはるか高く、噴水のように一メートルは飛び出しています。

しかも、出続ける、ブシャー。

虹がかかりそうな勢いです。

こんなに躍動感のある缶詰がほかにあるでしょうか。

缶詰というと、缶切りで開けて、さびしく蓋をぺろっと返し、やや沈んだ色の中身を見るイメージがありますが、シュールストレミングの場合は、しょっぱなからエキサイティング。

私はというと、二メートル程離れて、遠巻きに見ていました。

すると、しばらくして、風にのって、強烈な悪臭が鼻に飛び込んできました。こんなに離れているのに、強烈な下水臭、生ゴミ臭。ショクダイオオコンニャクの花も臭かったけど、シュールストレミングも強烈に臭いです。ショクダイオオコンニャクの花は食べることはありませんが、コレは、食べるのです。

悪臭の中からあらわれたニシンは、液体の中に澱んで浮かび、若干表面が溶けて、どろりとしています。これを、食べる。

と、躊躇する間もなく、参加した人たちが缶詰の中に指を突っ込み、「うう、くさい」と言いながら、手を顔より高く持ち上げ、指からシュールストレミングを垂らすようにして、口に放り込みます。カルトの修行のような様相。

一瞬「加熱したい」という気持ちがよぎりましたが、ままよ、私も口に放り込みました。

口の中に広がる下水臭、生ゴミ臭、噛み締めると、途端に舌の上に、悪臭を押しのけて、豊潤な旨味が広がりました。まるで、美味しい日本酒、純米大吟醸に感じる熟れたメロンのような甘味、発酵した魚の複雑で奥ゆきのあるコク、舌をちりちりとわずかに刺激する、やわらかな刺激、

へしこ、酒盗よりも更に旨味は強く、それでいて、どこか清冽な味。

あまりの美味しさに恍惚となりながら、飲み下すと、悪臭がふたたび感じられ、胃からガスとともに悪臭が口から鼻へと抜けるのを感じます。臭い、旨い、臭いの何十層にもなっているのですが、悪臭も尋常でなければ、旨さも尋常ではなかったのです。

うう、旨いぞ。

更に、参加した女性(猪俣さん)が、シュールストレミングで餃子を作るというのです。シュールストレミングを食べる行為そのものが、祭事的で、それだけでごちそうさまになりそうなところを、更に工夫をしてしまうという猪俣さんは、本当にすごい、料理家として尊敬します。

猪俣さんは、昆虫料理研究会で、次々と新しいメニューを考案して腕をふるっている女性で、代表の内山さん、増淵さんとともに、会にはなくてはならない存在ですのだ。

シュールストレミングを餃子に。あまり味が想像できませんでした。

エビや魚介類を餃子に入れることはありますが、この悪臭の吐き出すシュールストレミングを餃子にした時の化学反応はいかに。

作るのもお手伝いしました。シュールストレミングを刻み、豆腐とこねます。シュールストレミングと豆腐の餡、それだけであやしい胸騒ぎです。更に臭みを抑えるのに刻んだネギとシソを入れる猪俣さん。あとは、調味料と片栗粉でまとめて、皮に包みます。

江戸川河川敷という野外のため、カセットコンロで、フライパンを熱し、餃子を並べると、あたりに香ばしい匂いがただよい、じゅーっと良い音が。

皮に閉じ込められているせいか、特に悪臭は感じません。

スウェーデンからはるばる海をわたって、餃子の皮にとじこめられて、焼かれたシュールストレミング。「泳げ!たいやきくん」の歌を思い出します。

何の因果か、シュールストレミング。

焼きたてを一個、つまんでいただくと、香ばしい皮の中から、熱々の汁とともに、しっかりとシュールストレミングの旨味を感じました。ほのかに残る悪臭、でも生の時よりもはるかに匂いが抑えられています。旨味は濃く、匂いは穏やかに。料理というのは偉大です。

牡蠣などの生の貝を熱した時も、旨味は濃くなるのですが、特有の磯臭さは少なくなるのに似ています。かりかりの焼けた皮と、じゅわっとしたシュールストレミングの旨いこと。餃子の中に押し込められても、しっかりと主張しています。

しかし、貝同様に、生の時にあるシュールストレミングの果物香がなくなっているのにも気づかされ、生も必ず味わいたいところです。

(後日、妹の縁で料理研究家の西川治先生とお話しする機会があり、シュールストレミング餃子のことをお話したら、すごい発想だネェと大笑いされてしまいました)

強烈な悪臭のあるシュールストレミングですが、大騒ぎのちの垂らし食い、餃子を思い出すと、あの臭さと豊潤な旨味を、毎日とはいわない、また機会あれば、年に一回くらいは食べたいなと思うのです。日常食にはほど遠いけれど、人生を豊かにする悪臭でもあると思います。

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