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喜安浩平の『庭から』~脚本創作7・気配~

ここだけの話、先日、フラれてしまいました。仕事の話です。


何年も前から取り組んできて、書き直し、いったんの完成を見たものの、しばらくして私にはどうしようもない事情で動きが止まり、再開するのを待つうちに他のことに時間を取られ、忘れるくらい会わなくなって、最近久しぶりに連絡が来たら他の人でもう一回進め直すことになったから私はここまで、という話です。


まいりました。よくある話かどうかは知りません。よくある話のような気もします。すでに相応のお金はいただいていたので、文句があるわけではありません。でも、おもいっきりフラれた気分で、今、心はレイニーです。思い入れのある企画でした。関われたことが運命と思えていただけに。でもさすがに別々の時間を過ごしすぎました。雇われた側の卑猥、ああ違った、悲哀か。うだうだ言うのもどうかと思いますが。


動ける時に動かないと。グズグズしてちゃあしょうがないと改めて思います。いや、私にはどうしようもない問題でもあったのだから、今回については私個人がどうしたところで、と慰められなくもないのですが、でもやはり、なににおいても「ここ!」という時はあるはずです。タイミングを探るうちに、なぜかやる気満々の私がそこからいなくなる羽目になってしまったのですから、たまったもんじゃありません。少なくとも、平均寿命で言う所の折り返しを過ぎている私には、「ここ!」があと何回あるのかわかりませんですから、今あるそれは本当に「ここ!」と言えるものにしていかないと、死んでも死にきれないではないですか。


ただこれ、脚本家としてまっとうに、全力で当たれば済む話なのでしょうか。必死に書いたっていろんな事情で…、いや、違うな。職業の問題ではないでしょう。脚本家だろうが、監督だろうが演出家だろうが、主宰者だろうが企画者だろうが、その企画の根幹に関わるような、私でなければならないような影響力と推進力を持ってそこに在ることが肝要なのであって、職業や立場は問題じゃあないのだと思います。自分を脚本家だと思って関わってるうちは、そこまでの関わり方しかできないのでしょう。それではやりたいことができないのだと教えていただいた、大変貴重な機会でした。


と書いて、自分の書きようの青さに、恥ずかさくて眩暈がしてきます。消して書き直そうと思いましたが、消さずに眩暈をこらえます。忘れないためです。


とか書いていたら、今、ほんとに今です、今、先述とはまったく別の企画について、根幹を揺るがすような新情報が入ってきました。まさに今!!本当に?!わー!!どうすんだろー!!


庭を作るはずが、あるいは庭を作ろうとして私がオタオタする様子をお見せするはずだったものが、よそ様のドタバタにオタオタするところをお見せする羽目になっております。お恥ずかしい限りです。ですが、これも肥やしと思って、庭の隅に植えておきましょう。どうなるものかわかりませんが。


…でも。えー。あそう。以前に、仕事の話ならいくらか面辛い話が書けると書きましたが、これは、えー、書けなーい。


過去には、私の手落ちでご破算になった企画もあります。端的に言えば、書けなくてです。どうにも書けなかった。これには、本当に何からどうしていいかわからなくなったケースもあれば、劇団のことで手一杯で、他のことを考える余地がなくなってしまったケースもあります。でも、今はなんとか書けています。書けていてもこうなるわけです。ほんと、『書いて渡す』じゃあ全然足りないな。それだけのつもりは毛頭ありませんでしたが。もっとこう、いろいろ込めないと。いろいろの部分は、いろいろです。


他にも、ずっと立ち向かえずにいる案件があります。強大な壁を見上げ、何度も呆然としてしまう案件です。あるいは、なにがどうということもなく頼りなさを感じている案件もあります。一向に答えが見つからず、ついに企画への疑問を言葉にしてしまった案件もあります。すぐにOKが出るので逆に怖いと思っているものもあります。なにしろどれも不安です。大丈夫か。なにが起きるんだこの先私に。


なんだろう。地響きがするような。雲の流れが変わるような。そんな不安です。春の気配なら良いのですが。


幾つか前の投稿に、脚本家になりたかったわけではないというようなことを、さらっと書きました。それは本当のことで、名乗った方が早いので便宜上、脚本家ですと言うことはあるものの、本当は脚本だけではなく、作品のあらゆる部分に関われる人でありたいと思っています。だから、最近呼ばれることがとんと減りましたが俳優も声優も辞めてはいませんし、辛いこともたくさんあるけど劇団の主宰も背負っていこうとしていますし、この歳になっても劇作家として舞台の演出を手がけることを強く志望しています。無理だ無理だとたじろいでばかりいましたが、映画だって本当は監督として関わりたいです。


心の隅にずっと残しておいてくださるような、そんな作品を、私のこの手で、直接、誰かにお渡ししたいです。感動的な良作を狙う腕はありません。高級感も釣り合わない。取り柄なんてないかもしれません。それでも、ささやかで、たとえくだらないとされても、ぶさいくと笑われたとしても、私の庭で取れる実の、私の庭の味を知っていただきたい。そこにこめられた、私なりの『おもむき』が、受け取ってくださった方の血となり肉となることだってあると思うのです。


失礼。結局、自分を励ます回になってしまいました。この場所では、創作した脚本を、この手でお渡しする予定です。今のところ。


前回の続きですが、『おかしみ』ってなんだと。私の庭は今、そんなところまで来てしまっています。ずっと自作を言い表すものとして発し続けてきた言葉を、見つめ直しています。同じ頃、外でもいろんなことが起きているわけです。潮目、風向き、なにかが変わりつつある気がして、戸惑うことしきりですが、まさに「ここ!」を逃さないよう、愉しんでまいります。


長くなってまいりました。この続きは、投稿を改めます。

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