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魚から感じる命の大切さ

どうもきよです。
先日、立派なぶりを頂きました。鹿児島さんの大迫力魚です。

独り暮らしの男の家にはすこし大きすぎる気がしますが、これで当分食料には困らなさそうです。

ところで僕は初めて魚を捌きました。
生まれて初めてです。

祖父は魚屋だったので、何度か捌いているのを見たことはありました。そのときいつも疑問に思っていたことがあります。

祖父は魚を捌くときなるべくゴミが出ないように捌きます。どの部分も使えると言って捨てないのです。

何故だろう。ずっと思っていました。ケチなのかな?

魚という珍しい食材。

鶏肉、豚肉、牛肉。これらの食材はスーパーで見かけるとき、すでに肉の形をしています。生きていた頃の面影を見ることはまずないです。

一方魚はどうでしょう。切り身になっていることもありますが、生前の姿を残したままのことも多いです。

鶏肉に目玉はついていないし、牛肉に皮はついていません。魚っていうのは、そういう珍しい食材なんですね。

今なら理解できる、祖父の気持ち。

僕は今回、生まれて初めて魚を捌きました。血はでるし、骨は固い。捌くのは本当に苦労しました。

それと同時に、この魚が生きていたことを想像することができました。命を感じたんですね。

おそらくこれが、祖父が残さなかった理由です。

きっと命を感じていたはず。
僕のおじいちゃんは、ただのけちではなかったようです。

生き物を食べる

生き物を捕まえ、殺して食べることは大変です。僕は今回、死んでいる生き物の処理をしただけですが、それでも一苦労。これが生きているところからスタートだったらと思うとめまいがします。

しかしその方が、より深く命を感じられると思いました。
狩猟民族やインディアンが、生き物を神に例えたりするのはこういうところからきているんじゃないかな。

なんにせよ、命は大切。
自分に子供ができたなら、祖父のように行動で示したいと思った出来事でした。

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