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ミュシャから学ぶ人物ポーズと作品の魅力について「続:みんなのミュシャ展」

みんなのミュシャ展note第2弾です。人物ポーズと、ミュシャの作品の魅力について考えてみます。

なお、第1弾では、陰影の描き方とミュシャならではの構成について考えています。気になる方はこちらへ↓

ミュシャから学ぶ陰影の描き方と構成主義について「みんなのミュシャ展」
https://note.mu/kiyo_design/n/n45edf9c3dad4?creator_urlname=kiyo_design

不動の世界に見える動き

静止画の世界にも関わらず、ミュシャの作品には動きを感じられるものがあります。

女性の円を描いた髪の毛は美しい髪の動きをイメージさせ、演劇的なポージングは観る人に次にこんな風に動くんだろうなという想像をさせます。

不安定な状態を画面に描くことで、観る人の脳が安定状態になるにはどんな動きをするのか?を予測して静止画の世界に動きを感じさせるのだと考えられます。

正しい身体動作

ミュシャは演劇のポスターを描いたり、それに使われる衣装をデザインすることもあったそうです。その仕事の中で、人物の演劇的な動き、人間の身体動作を正確に描く練習も行なっていました。

ミュシャの練習用のクロッキーを見ると、ドレスを着た棒人間が描かれているものがありますが、棒人間という最低限の線の絵でも人物の動きを正確に感じさせられます。

線の強弱、長さ、角度で人物の動きとボディバランスをイメージさせています。

映像的なポージング

絵の中に登場する女性たちは、演劇的な美しい、又はかっこいいポージングで立っていて、現代のマンガのような立ち姿を感じさせます。

ミュシャによって人間が魅力的に見えるように計算されたポージングは、ダンスや演劇のような要素を持っています。

加えて、映像のカメラワークのような人物の構図(例えば下から大きく煽り撮るようなカメラワーク)もあり、女性の動きを感じさせたり、キャラクターとしての雰囲気を作るのに役立っています。

ここで重要だと考えるのは、より美しく見せるために現実よりも誇張している点です。パッと見た人にわかりやすく魅力を届けるため、リアルよりもリアルに描かれています。

ミュシャの影響の失敗と成功

明治時代、日本にミュシャの絵画が伝えられ日本人画家の中にもミュシャに感化された者がいました。

彼らは美術雑誌の表紙をミュシャをオマージュしたような絵で飾っていましたが、残念ながらどれもそんないい作品には見えません。

ミュシャのもつ西洋的な曲線美、人物のポージングなどをオマージュしていますが、日本人作家の描く日本人女性の絵とはミスマッチしていたり、曲線美のある構成に対して硬い形の漢字が合っていなかったりと残念な感じが否めません。

しかしながら、現代の漫画家やイラストレーターのミュシャに影響を受けた作品は美しいものでした。

パッと見た感じはミュシャのような独特の構成枠やアウトライン、数学的な線はあまりないですが、大枠的にはミュシャと同じような絵の配置になっていたり、花を活用した絵の描き方をしていたりととても美しいものです。

現代の漫画家やイラストレーターは、ミュシャの絵画を真似ることではなく、ミュシャの描き方を盗み、自分のフィールド(得意な描き方)に落とし込んで上手に利用していると言えます。

ミュシャの魅力個人的考察

ミュシャの絵の魅力は、魅力的な女性のラインとポージング。全体の整理された数学的な構成。控えめな色の置き方。繊細な線のタッチと絵の正確性だと思いますが、以上は技術面での魅力です。

心理的、感覚的な魅力について個人的に考えていきます。

①絵のリアリティによる親近感、現実っぽさ。
→ファンタジーである絵やストーリーに現実感を持たせ、もしかしたら自分もその世界の一部にいるのかもしれないと感じさせます。
②美しい魅力的な女性。
→美しい女性は生来目で追ってしまうものです。
③美しくもあり、どこか悲しさも感じる。
→スイカにかける塩のように、ネガティブな要因があるからこそ対極にあるポジティブな美が光るものです。
④草花の自然から感じる美しさと安心感。
人間は本能的に自然を求める習性があります。草花があるところには水がある、つまり生きることができるということです。この習性により人は自然を美しいと思い求めます。

ここまでミュシャの魅力を言語化することに勤めてきましたが、一番適した表現はなんだろうと考えました。そこで出た答えは

「一目惚れしたような感覚?」

ここまでロジカルに言葉を選び、文を作ってきたのに、これ以上の言語化ができなくなり結果、情緒的な単語に落ち着いてしまいました。笑

感情は感情の言語で伝える「感情の食レポ」

ミュシャの絵に関わらず、ため息をついてしまうような魅力に溢れた作品は、いわゆる「一目惚れした感覚」におちいるものだと思います。

感情で捉えたものを分析して言語化し、伝えたりする方法にはロジカルよりも、同じ似た感情状態を引き出してイメージさせる方が効果的なのかもしれません。

これは、食レポをするときに人が食べたことのないものを、近しい食べ物に置き換えて味を伝える行為の感情版なのかもしれません。

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