古舘伊知郎トーキングブルースの思い出
僕が初めてトーキングブルースを体験したのは上京後の1993年、6回目の公演「あなたのなかの詐欺師達へ」だった。地方に住む頃からスポーツ紙などで知っていたものの、ついに生で目撃できるようになった。当時20歳だった僕は「話を記憶して持ち帰ってやるんだ」くらいな気持ちで青山円形劇場に乗り込み約2時間、集中して耳を傾けたのである。
もちろん、話の大部分は忘れてしまったが、セミナーの主宰者に扮した古舘さんの「詐欺とは、カラスをサギと言いくるめるというのが語源である」という言葉、冒頭に「今日は、これだけは覚えて帰ってもらいたい」と言われた3つのキーワードについては、今でもはっきり記憶している。
社会人になって広島に移り住んでからも、年に一度のトーキングブルースだけは必ずチケットを取って足を運んだ。アナウンサーという仕事に就いたことによって、勉強のために必ず行かねばならない気持ちがいっそう強くなったのかもしれない。広島から東京へ、場合によっては大阪、福岡へ遠征したし、2000年を迎える直前には極寒の京都・永観堂で行われた年越し公演にも参加した。
昔の歌謡曲を聞くと、当時の記憶が蘇るように、トーキングブルースのアーカイブを見ると、当時の自分、誘って連れて行った女の子の顔、座席の位置や公演後の食事まで思い出す。2003年の16回目の公演まで皆勤賞となったトーキングブルースは、ちょうど自分の20代と重なっているのだ。
古舘さん本人が語っていたのだが、2時間ぶっ通しのトークライブには台本が存在するという。その膨大な情報量を暗記してしまう古舘さんの特殊能力については、初期に構成に携わった藤井青銅さんが証言している。
この記憶力が最も発揮されているのが、12回目のトーキングブルース「お経」の冒頭、日蓮宗の法華経を読むネタだと思う。圧倒されたという意味では、僕が体験した公演の中でナンバーワンかもしれない(このお寺に集まった聴衆の中に僕もいる)。
言っている意味はさっぱりわからなくても、ノンストップで言葉が出て来る特殊能力は、きっと誰にでも伝わると思う。古舘さんによると、こうした意味のわからない言語ほど覚えてしまえば忘れないらしい。
演芸とも一人芝居とも違うトーキングブルースに関しては、正直、楽しみ方がわからない人もいると思う。一度、観客になるとわかるが、どこに飛んでいくのかわからない言葉の速射砲を受け続けねばならないのだ。聞く人の脳は消耗するし、お尻も痛くなる。では、何が楽しいのかと聞かれれば、「やりたいからやってるんだ」「しゃべりたいからしゃべってるんだ」という古舘さんの挑戦的な姿勢を見るのがたまらなくいいのだと答える。ライフワークとはそういうものだろう。
トーキングブルースは、放送の世界に置かれるアナウンサーのしゃべりをステージでエンタメ化することに成功した唯一の例である。つまり、古舘さんは、道がまったくなかったところに道を作ったの人なのだ。そんな偉大なアナウンサーの先輩が切り拓いた道をアナウンサーが受け継がないのは、あまりにもったいないと思う。まったく整備されていない茨の道だが、20代の頃、トーキングブルースを見る度に「ああ、こんなのやれたらいいな」と感じた気持ちを思い出しながら、僕は今、自分でステージを作って「実況芸」に取り組んでいるのである。
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