見出し画像

古舘伊知郎の実況デビュー戦は長州力の試合だった

8月1日放送の日本テレビ『ダウンタウンDX』で古舘さんが実況デビュー戦について語っていた。

画像1

番組の中で話題に出た長州力vsエル・ゴリアスの映像(非DVD化)については、“フルタチスト”をある僕はもちろん入手済みである。1977年の「アジアチャンピオンシリーズ」録画中継の前座試合とはいえ、入社からわずか4か月でのデビューには早熟さが伺える。試合は5分経過から放送、解説には遠藤幸吉。NETテレビからテレビ朝日になった最初の年の話である。

のちにプロレス実況の世界に革命を起こすことになる古舘伊知郎の第一声を正確に書き起こすと、以下の通りである。

「折からの暑さとそして人いきれで、熱気がムンムンとしているこの越谷市体育館、お客様は手に手にパンフレットや各自の紙などを持ちまして、それを団扇代わりに使っております。非常に暑い、ただ座っているだけで汗がしたたり落ちてきます、この越谷市体育館。リング上では長州力がヘッドシザーズに決めておりましたが、おっと、返されまして、今度はデスロックの態勢です、エル・ゴリアス!」

「したたり落ちてきます」を言い間違いしているものの、以下のように「ダブルアームスープレックス」「スコーピオンデスロック」という技の名前を連呼するあたりに早くも“古舘節”の片鱗を見つけることができる。

「長州力、エキサイトしております。額を割られてエキサイトしております長州力!リング上でダブルアームスープレックス!ダブルアームスープレックスが一発決まりました!そして、すかさずスコーピオンデスロックか?スコーピオンデスロックが決まりました!カール・ゴッチ直伝のスコーピオンデスロックが決まりました!」

このデビュー戦は古舘さんにとっても思い出深いようで、著書「晴れた日には、会社をやめたい」の中にも初実況で得た感激、さらにはプロとしての覚悟までが綴られている。興奮が伝わる素敵な文章なので、以下に引用したい。


初めての夜。初めてのテレビ。初めての中継…。そりゃあ練習はいっぱいしていた。マイクを通した自分の声だって、これまで何度も何度も聞いていた。どういうふうにプロレスを実況するかってことも、自分では何度も何度もやってみたし、わかっていた。(中略)それでも嬉しかった。なぜか目がジーンとなって熱くなっていった。不思議だった。ただテレビに出るとか、ただテレビで喋るだけのことなのに、自分の職業として、プロとして俺はこれでやって行くんだという誇りに似た嬉しさが、ひしひしと打ち寄せてきた。

では、最後にもうひとつ、プロレスファン向けの話を付け加えておこう。

古舘さんの実況デビューは長州力の試合だが、では長州の試合を最後に実況した試合はいつなのか?

正解は1984年の「ブラディファイトシリーズ」の江南市体育館からの中継である(長州力、アニマル浜口、谷津嘉章vsアントニオ猪木、藤波辰巳、木村健吾という6人タッグマッチ)。長州はこの後、新日本プロレスを離脱し、復帰した1987年には古舘さんはプロレスを卒業していたので、結果的にこの試合が最後の長州力の試合の実況となった。

そして、翌週から『ワールドプロレスリング』は長州抜きの中継となり、その最初の放送がまたも越谷市体育館からの中継だった。またしても「長州」「古舘」「越谷」というトライアングルが出来上がるという見事な偶然が生まれるのである。


参考文献・資料
古舘伊知郎『晴れた日には、会社をやめたい』(1987年、扶桑社)
テレビ朝日『ワールドプロレスリング』
日本テレビ『ダウンタウンDX』

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?