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デジタルリマスターとニュープリント

[2015年1月5日の日記]

「しかしそもそもデジタルリマスターとはどんな作業なんだろうか」と、ふと気になったので、デジタルリマスターについて調べてみた。

http://news.mynavi.jp/c_career/level1/yoko/2012/08/post_2161.html
(リンク切れの記事)

なるほど、デジタルリマスターというのは本来「修復」を目的としている作業ということか。であれば何ら問題は無いはずだけど、この発言がどうにも引っかかる。

ただ場合によっては、オリジナルに近づけるのではなく、いまの人たちが見てきれいだと思うものを目指すこともあります。修復を行う際には、このバランスをどのようにするかというコンセプトの設定が重要なポイントとなります。

その「コンセプト」とやらを決定する権限は誰にあるのか。作家(監督)本人以外にその権限があるべきではないと思うのだけど、そうは言っても映画もビジネスの仕組みの中で成り立っているわけだし、そもそも作った人がすでに亡くなっているケースも多いだろうから、監督以外の誰かしらが決めてしまうものなのだろう。それは仕方ない話なのかもしれない。

ちなみに「ニュープリント」というのは、リマスタリング処理とは全く関係がない。上映用のフィルムは上映回数を重ねるごとに劣化が進む。同じフィルムを使いまわすにも限度があるということだ。なので限界に達したら上映用ではないマスターフィルムから焼き増しする。これを「ニュープリント」という。

とはいえ「おいおい、もうこのフィルム限界だろ・・・」という状態のフィルムがいつまでも上映用に使用されている例も少なくない。自分が映写した範囲で記憶に残っているものだと、パラジャーノフやエリセ、タルコフスキーの作品は相当に状態が悪かった。その後ニュープリントが用意されたかどうかは定かではない。今もまだ使われている可能性は大いにある。

なんでそんな状態になってもニュープリントを用意してくれないのか。色んな理由が考えられるけれど、やはりコストがかかりすぎるのではないか、という点が真っ先に思い当たる。映画は24fps、つまり1秒間にフィルム24コマ必要だ。1分間に1,440コマ、2時間だと172,800コマだ。172,800枚の写真を現像することを想像すれば、ニュープリントを1本用意するだけでも相当な費用がかかるのだろうということは想像に難くない。デジタルに移行するという流れはある意味必然なのかもしれない。写真だってもはやデジタルが主流なわけで、フィルムカメラで楽しむ方が珍しいくらいだ。

ちなみにDVDなどの流通メディアは当然、上映用ではないマスターフィルムから作られているんだろう?と思われがちだけど、実際そうではないことは古い映画をDVDで楽しむことの多い方であればお分かりだろう。切り替えマークや傷が写りこんでいたり、コマ飛びが発生するのは、実際に上映に使ったフィルムからメディアを作っているためだ。なのでDVDなどでも「ニュープリント」という謳い文句が成立する。

僕はニュープリントであれば大歓迎だ。ニュープリントで見たい作品は沢山ある。デジタルリマスターも、純粋な修復だけが目的ならいいのだけど「現代風の綺麗な映像に」という意図のもとで実施されるものは、作品が何であれ素直に歓迎できない気持ちがある。

上映だけではなく撮影さえデジタル化が進む今の時代において、このような考え方はただただ「時代遅れ」なのかもしれない。

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