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下心と罪悪感

自分だったら絶対に納得しないような強引な説得に、なぜか相手が折れてしまった。そういう経験はあるだろうか。僕にはある。自分の欲求を押し通すために、無茶苦茶な理屈で相手を無理やり納得させた。まだ幼い頃の出来事だけど、未だに罪の意識が拭えずにいる。謝る機会がもし得られるのなら謝りたい。

でも世の中には、そこで罪の意識を微塵も感じることがない人種もいる。「なんだ、他人を利用するのはこんなにちょろいのか」と調子に乗ってしまうような人間もいる。

だから思う。本当はこんなこと言いたかないけど、カメラマンからのモデルに対するセクハラ行為は根絶できないだろうなと。

先日、とあるアマチュアカメラマンがモデルに対する性的暴行の容疑で逮捕され、主にコスプレ界隈で話題になっていた。「私も被害に遭った」「妙な撮影依頼を受けた」と多数のモデルから被害報告が相次いでいる。容疑者とのDMのやりとりをスクリーンショットで公開しているモデルもいた。

そのやりとりを見て「ああ、やっぱりこういうことか」と思った。

強く言われると断りきれない性格の女性は珍しくない。そしてそれは本来その人物の「美点」であるはずで、「弱点」や「短所」であってはならない。

なのにそれが「弱点」や「短所」とされてしまうのは、そこに付け入る悪意の人間が存在するからだ。

悪意の人間が、たとえば「己の出世」のために他者を利用すれば、それはパワハラという形になるし、「己の性欲」のために他者を利用すればセクハラになる。そういう事例を僕は多数知っている。

これまで、会社の若い子からセクハラやパワハラの相談を受けたことが何度かある。そういう被害に遭う子たちに共通している特徴がある。「根は良い人だから」「悪い人じゃないから」「思い過ごしかもしれない」。皆そうやって無理やり自分を言い聞かせ我慢してしまっているのだ。

被害に遭ったモデルもきっと、熱意のある真面目なカメラマンなのだと思い込もうとしてしまったのだろう。他人を信用しようと努めたということだ。

僕はどうしても、そのことを責める気にはなれない。

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