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自宅飲み - ネグローニ

人は、対人関係の中で「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。~「嫌われる勇気」

「いや、ちょっと話聞いてよ!」

喫煙所でボーっと煙草を吸っていたら、突然横にいたオッサン二人組がヒートアップし始めて腰抜かしそうになった。注意して聞いてなかったけど、バスタブにお湯をためてとかなんとか、どうってことない世間話してなかったかお前さんたち。

どうやら話の争点は「バスタブのお湯はどう運用すればガス代および水道代を最適化できるのか」ということのようだ。くっそどうでもいい話だ。「○○さんのお宅のやり方はさあ」という話しぶりを聞く限り、別に一緒に暮らしてるわけでもなさそうだし、人んちが風呂場の水をどう運用してようと大きなお世話だと思うのだが、なぜそうまでアツくなってしまうのだろう。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。~「嫌われる勇気」

あれは15年ほど前のことだろうか、ドンキホーテで安いママチャリを買ったという話を会社の同僚にしたら「自転車だけは高いものを買わないとダメだよ」と言われてイラっときたことを思い出した。そんな昔の些細なことをいつまでも忘れられないのは、それだけ腹が立ったからということではなく、「人間のあつかましさ」を象徴する典型的な出来事のように思えたからなのだと思う。僕が伝えたいことを伝えやすいエピソードのような気がした。でもその出来事で僕が感じたことを上手く伝えられたことは余り無かったかな。

今の僕ならあの時のやりとりを極めてシンプルに「その同僚は僕の課題に土足で踏み込んだので、僕はそれを問題だと感じた」と総括することができる。

ちなみにその同僚はかつて僕のことを「きよひこさんは、好きな人には最大限の愛情を注ぐ人ですけど、嫌いな人には誰よりも冷酷になれる人ですね」と言われたことがある。確かにその通りだ。痛いところを突かれたなと思った。

でも別に自分のそういう部分を改めてないし、これからも改めるつもりはないけどね。

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