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読書の秋

電子書籍というものが世に登場したときは否定的な立場だったのに、気づけば iPhone に沢山の電子書籍。書店にもほとんど足を運ばなくなった。

でもなんだか急に「本に囲まれたい」と思い立ち、池袋のジュンク堂へ。

欲しい本があったわけでもなく、ただブラブラと各フロアを練り歩く。自分が全く無知な世界が沢山あって、その世界を深く深く掘り下げている人がいて、その情報を探している人がいる。書店の雰囲気、いいな。

ふと「そういえば豊島区の図書館がこの辺にあったような」という記憶が掘り起こされ、ぶらっと歩いてみることにした。その図書館で面白い本見つけちゃった。

「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」だって。面白そうすぎる。時間を忘れて読みふけってしまった。

たぶんゴダールと離婚してから20年後くらいのアンナ・カリーナのインタビューがあって興味深かった。

・「勝手にしやがれ」の出演を断ったのは、主役ではなく端役、しかも脱ぐ役だったから。
・「女は女である」はもともとアンナ・カリーナのために構想された映画ではなかった。
・アントニオーニの「赤い砂漠」にゴダールは感銘を受け、「気狂いピエロ」の衣装担当をジット・マグリーニに依頼した。
・「女は女である」で3回も撮り直しておきながらわざとNG映像を使っている場面があって悔しかった。
・アンナ・カリーナの前に付き合っていた彼女の名前はアンヌ・コレット。カリーナの次はアンヌ・ヴィアゼムスキー。その次はアンヌ・マリー・ミエヴィル。みんな「アンヌ」。

さらに、「軽蔑」に関するブリジット・バルドーによる回想もあった。

私は随分ためらった。左翼かぶれの薄汚いインテリという種族にはいらいらする。彼はヌーヴェルバーグの旗手だったし、私は古典的作品のスターだった。とんでもない取り合わせだった。
ゴダールはふにゃふにゃした手で握手してから、歓迎の言葉をもぐもぐと二言三言つぶやいた。私は気が滅入り、怖じ気づき、家に帰りたくなった。
ある日、ゴダールは私に、キャメラに背を向けてまっすぐ歩いていくようにいった。リハーサルをやっても、うまくないという。何故かたずねてみた。「君の歩き方がアンナ・カリーナに似ていないからだよ」と彼は答えた。愉快な話だ。
私はアンナ・カリーナの真似をしなければならないというのだ。冗談もほどほどにしてもらいたい。
本番を少なくとも20回はくり返した。最後に私はこういった。「アンナ・カリーナを迎えに行ったらいいでしょう。私はほっといてちょうだい。」

「左翼かぶれの薄汚いインテリ」は笑う。ブリジット・バルドーの言葉だと思えば痛快ですらある。

面白かった。まだ全部読めていないのでまた近いうちに足を運びたい。


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