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嵐の夜に届いたメッセージ

台風が荒れ狂う午前4時、久しく連絡を取っていなかった子から謎のメッセージが届いた。メッセージの内容は解読するとおそらく「ハロウィンをテーマにした撮影をしたい」という、内容そのものはどうってことないんだけど、明らかにラリっている文面だった。日本語が誤字脱字のレベルを超越して乱れている。

以前から情緒不安定で何かとお騒がせな人物ではあった。放っておけばいいんだろうけど、そういうわけにもいかないのでその日の夜に電話してみた。当の本人は自分がメッセージを送ったこと自体記憶にないという。

以前は精神科に通っていたけれど、様々な理由から通うのをやめた。やめてから調子がいい。

前回、数か月前に会った時に彼女から聞いた話だ。今も精神科には通ってはいないのだけど、通院していた時に処方された睡眠薬がずっと手元に残っていたから全部飲んでしまおう、と20錠ほど一気に飲んだらしい。その状態で送られてきたメッセージだったようだ。リストカットも習慣化しているようで「布団が血まみれになってる・・・」なんてことを淡々と語られる。

ふと、自殺未遂を告白したかつての友人のことを思い出した。

もう10年以上前になるだろうか。学生時代の仲間が自殺未遂をmixiの日記で告白したことがあった。そのときは僕も迷った。「何か言っちゃいかんこと言ったら怖いし関わらないほうがいいだろうか」と。でも心配で心配で仕方なくて、心配する自分が間違っているとも思えなくて、その時感じたことをありのままメッセージで伝えた。何を伝えたのかはもう覚えていない。けれど後日「あのときメッセージをくれたのはきよひこだけだった。すごく感謝してる。」と言われた。

やっぱりみんな怖かったんだと思う。意図せず傷つきやすい人を傷つけてしまうことが。

リストカットなんて、僕には到底理解できない行為だ。でもリストカットの非合理性を説くことに意味はあるだろうか。それを力強く禁じることに意味はあるだろうか。リストカットに限ったことじゃない。理解できない他人の行動を自分の理解の枠にはめ込もうとするのは単なるエゴであって、思いやりでもなんでもない。

「どうして切っちゃうんだろう・・・」
「知らねえよ。まあ俺には”切るなよ”としか言えないけど。」

切りたいんだったら切ればいい。死にたいんだったら死ねばいい。口にはしなかったけどそう思う。それは彼女の自由だから。

そして本当は切ってほしくないし、死んでほしくない。そう思うのも僕の自由だ。

この両者の自由を互いに侵害することなく、折り合うところを探すしかないのかな、と今は思っている。

「無意識にあんなメッセージ送ってきたってことは撮影の意欲はあるんじゃないの」
「そうかもしれないです」
「話だけならいつでも聞くから落ち着いたらまた飯でも行こう」
「はい、ありがとうございます」

なんて当たり障りのない内容でその日の会話は終了した。

つづく。のかな。

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