相続放棄完全マニュアル

~闇金との戦いと相続放棄のススメ~

ある日、突然、父が亡くなった。

その後に起きた、残された家族の物語・・・。


2014年師走

それは、2014年の師走の土曜日の朝、時刻は午前7時過ぎ。

突然、マナーモードにしていた携帯電話の振動音が聞こえた。

「こんな朝早くに、誰なん?」と思いながら、携帯電話を見ると下の弟からの電話だった。

「おとうが・・・、おとうが・・・。」

泣きながらの電話で、ただごとではないとすぐに理解できた。

どうやら父が倒れ、既に意識がなく、たった今、総合病院に運ばれたとの連絡だった。

母は救急車に乗り、先に病院に向かっているとのこと。

思い出せば、その15年前に初めて心筋梗塞で倒れ、5年経った10年前にも倒れ、そのときが3回目だった。

師走になり、急に冷え込んだ早朝ということもあったのかもしれない。

適当に用意を済ませ、総合病院へ向かった。

到着すると、医師より延命処置についての指示を仰ぎたいとのことで相談があり、その時点で脳死を告げられた。

それからすぐに、下の弟と、上の弟家族と合流し、医師に説明を受けた。

処置室に入ると、既に脳死状態のため自発呼吸はできず、蘇生処置を施されていた。

しかし、処置を停止した瞬間には心肺も停止してしまうであろうとのこと。

救護隊の方が仰向けの父に馬乗りになり、勢いよく心臓マッサージを施してくれていた。

その情景は見ていて、ただただ辛く、最後に会話をしたことを思い出していた。

最期の会話は、その二日前。

天気は雨。

実家に立ち寄り、父と今後の仕事のことについて、色々と話をしていた。

普段は口数も少ない父だったが、その日は今思うと、とてもリアクションがよかった。

何かを悟っていたのかもしれない。

そんな、つい二日前の記憶が蘇る中、医師により臨終を告げられた。

非現実のような現実。

”人間とはこんなにも簡単に死んでしまうものなのか?”

と思った瞬間でもあった。

享年63歳。

関係ないが、西城秀樹も同じ歳で亡くなったけど、一般的には、まだ若いと思った。

そういえば、60歳を迎えて、「秀樹、還暦~!」ってやってたな・・・。(どうでもいいけど・・・。)



葬儀


それからはすぐに葬儀の準備。

母が葬儀会社の手配をしてくれ、その葬儀会社の方が総合病院に父の亡骸を迎えに来てくれた。

同時に父の兄弟、つまり叔父たちへの連絡。

父の携帯電話には仕事関係の方々から連絡があり、その方々へは事情を説明。

その他、喪服の準備や子供たちの喪服のような黒っぽい洋服の準備、さらには葬儀に使用する写真の選定等々。

次から次へと捌いていくだけで精一杯な事柄をこなしながら、心の準備など全くなく喪主となってしまった僕は、通夜と葬儀での挨拶を考えることがなかなかできずにいた。

そして通夜、葬儀を迎える。

喪主としての大役に、最後の挨拶がある。

そのときは、さすがに涙が止まらず、なかなか想いを言葉にできなかった。

出棺後の火葬前、父との想い出は残るけど、カタチある存在としては最期の別れとなる。

そのときも、僕は涙が止まらず、叔父に抱きかかえられた翌月5歳(当時)の誕生日を迎える子供も、泣きながら最期のお別れをしていた。

父とよく反発しあっていた上の弟も、人目もはばからず泣きじゃくっていた。

火葬後、遺骨を拾い、骨壷に納め、”心にぽっかり穴が開く”ことに初めて気付いた。

無事に葬儀が執り行われ、ホッと一息つきたい気持ちとは裏腹に、とても重大な問題が圧し掛かってきた。


重大な問題


その問題とは、相続財産の合計額。

細々と建築関連会社を経営していたとはいえ、残念ながら資産があるとは思えず、負債の方が多いではないのか?という疑問。

母も詳細は分からず・・・とのこと。

そのことが頭を悩ませる。

インターネットで色々調べる日々。

年末年始ということもあり、時間と気持ちに少し余裕が持つことができたことに救われた気がした。

結果、相続放棄という手段を選んだ。

なぜ相続放棄という手段を選んだのかというと、バブル期に法人名義で金融機関より融資を受けており、その連帯保証人として社長名義、つまり父の個人名義での契約をしていた。

しかし、バブル崩壊の波は数年遅れてやってきた。

当時は従業員も数名いた気がしたが、1人辞め、2人辞め、ついには父だけとなってしまっていた。

金融機関からの督促の電話、自宅への訪問。

当時高校生だった僕は、何となく理由がわかっていた。

「うちにはお金が無いんだ・・・。」

やがて金融機関からの督促連絡や訪問は慣れてきており、僕も適当に対応していた。


コワモテの男


そんなある日、強面の男性が訪問してくるようになっていた。

今でいう消費者金融の取り立ての人だ。

最近では消費者金融も銀行の後ろ盾や傘下に入っており、法律も厳しくなり、下手に取り立てはできなくなってきている。

ブームは去ったが、過払い金請求が増え、倒産や廃業に追い込まれている業者まであったりもする。

当時は、返済が少しでも遅れると、取り立てが今よりもとても怖かった。

父が居ないときにタイミング悪く催促のために訪問してきた業者は、その時、対応してくれた祖母に払えと怒鳴る。

大声で近所中に聞こえるように叫ぶ。

今の時代なら、間違いなく違法行為で即警察だ。

そんな日々が続いた。

そして、さらには、消費者金融から闇金業者へと・・・。

なので、より一層、怖そうな方々が押し寄せる日々が続く。

取り立ても激しさを増すが、母は手慣れたもので、

「命までは取られることはない!」

と開き直っていた。

しかしある日、父が、

「明日50万円必要だけど手持ちあるか?」

と突然聞いてきた。

その当時、僕は学生だったかフリーターだったか覚えはないが、ハタチそこそこのその歳で、50万円など当然持っているわけもなく・・・。

貯金なんかもあるはずもなかった。

その50万円は、闇金業者への返済に必要とのこと。

しかも、利息のみの返済のため、元本が減っているわけではないということを後に知ることとなる。

そもそも何故、闇金業者との付き合いになったのか?

母が憶えている範囲内で、何気なく話してくれたことがあった。

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相続放棄完全マニュアル

kiyogawa@東京時々名古屋ところにより岐阜

300円

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