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最愛

照明は、各テーブルに置かれたキャンドルの灯が美しく映える明るさで、店全体に、穏やかなピアノの演奏が響いている。

赤坂の大通りにあるビルの三十八階。このフレンチレストランは、妻の藍子にプロポーズした場所だった。僕たちは毎年、ここで愛を誓う。

僕は、藍子がのために椅子をひいてから、自分も座った。

「藍子。僕たち、もう三十年になるんだな」

まだ水滴のついていないグラスに口をつける。

「時間が立つのはあっという間なんだって、最近になって思うよ」

グラスシャンパンを二つ頼んで、藍子と乾杯をした。高く掲げるなんて僕たちに似合わない。テーブルの上で、優しくコツンと鳴らす。シルクのクロスが、わずかに皺を寄せた。

「君にプレゼントがあるんだ。受け取ってくれる?」
ベタなことをなさるのね、と藍子に言わそうだと思いつつも、白いクロスの上にそっと置いた。

「君に笑われるだろうとは思ったんだけど、今日はどうしても必要な気がしたんだ」

ウェイターが気を利かせて、もう一つ椅子を持ってきてくれた。そっと置かれた花束は、今どんな気持ちで咲いているのだろう。

毎年同じコースの料理を食べる。藍子は少食なのに、あなたと同じ物を食べたいからと言って、同じコースを頼むところがいじらしくて、可愛らしかった。いつも通り、テーブルの僕の方には皿は一つしかないのに、藍子の方には、たくさん並べてある。

「君が好きなExcuseを開けよう。なかなか手に入らなくなったって、ソムリエが泣いていたよ」

右手をあげると、すぐにソムリエがボトルを持ってきた。彼とも長い付き合いになる。小さなワインバーで、彼が働いていた時から、僕たちのワインやシャンパンをセレクトしてくれている。好みを熟知されていることに安心もするし、少し恥かしい気もする。

「今年で、結婚二十五周年ですか。おめでとうございます」
「ありがとう。君には、いつも良くしてもらって、なんだか申し訳ないよ」
「何をおっしゃるんですか。お二人がお付き合いするかしないかって時から、僕はずっと応援してたんです。これからもお祝い、させてくださいね」

食後のハーブティに、藍子は砂糖を入れるのが好きだ。僕は丁寧に、角砂糖をきっちり3つ入れてやった。

いつもとは違うことをしようとすると、何かトラブルが生じてしまうのは、よくあることだ。
「君。伝票が間違っているよ。僕たちは二人できているんだ。だから、二人分の料金を支払わせてくれないか」
どうやら、新人が会計処理を任されていたらしい。
ソムリエが走ってきて、新人を怒るものだから、なだめるのに苦労した。

自宅に戻ると、暖炉型のファンヒーターをつけて、ワインセラーから最後の一本を取り出した。
部屋の灯りは蝋燭3本。

「藍子。僕は人生において、君以外に喜びを見出すことは、ついに叶わなかったよ。馬鹿だよな。馬鹿だと笑っておくれ。もっと早く、君と一緒になればよかったな」

その日、藍子と僕の自宅は、町一番の輝きを放った。


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