「語り継がれる物語」と「語り部の成長」の関係
「物語」が語られるのは、
「語り部」と呼ばれる人がいるからだ。
そう考えてみると
その物語が、次の語り部、次の語り部へと、
ずっと「語り継がれていく」のは、
なんだか途方もなく、長い系譜があるようで
神秘的なことのように感じる。
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「昔話」や「妖怪」がいまもなお
語り継がれているのは、
その物語が、この「今」という時代まで続く
「年月」に耐えられるだけの強さを持っていて、
その物語を「語り部」が
「語るに足る」と考えたからだと思うと
「@物語さん:あー、君がここまでくるには
どれほどの苦労があったのだろう」
と、畏敬の念すら感じてしまう。
そう考えてみると、この画面の左におさめた
西尾維新の「化物語」もまた
生まれは、いまから10年以上も前の小説で、
2009の年にはアニメとなって多くの人に語れるようになったという
すでに「すごい物語」だったのだと思うのだけど。
この「今」と呼べる2019年の時代に
あらためて 「漫画」になって「語り継がれている」ことを思うと
語られるだけの「強さ」があったのだなと思えてくる。
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少し話は変わるのだが、
1ヶ月ほど前、我が家に子供が生まれた。
生まれて1ヶ月をむかえたことを祝い、
先日、神社へ一緒に、宮参りへも行ってきた。
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そのとき、神主からプレゼントしてもらったのが、
この「籠かぶり犬」という人形である。
立ち姿がかわいらしい。
「子を守ってくれる」護符の役割があるという。
その外見の「籠」や「犬」にもそれぞれ理由があるのだという話を聞くと、
これもまた、「語り継がれてきた物語」のひとつなのだな
と思えて、面白く感じた。
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子供のころの自分は、お守りや神社にはあまり興味がなく
「ここまで面白くは思えなかった」
それを思うと「語り部」としての今の自分も
「多少なりとも成長できている」のかもしれない。
心の中でほんのりと嬉しく思えた。
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「籠かぶり犬」は、
ひとまずのところ、番犬として家の玄関に鎮座してもらうことにした。
いまの我が子にはあまり「面白く」思えないものかもしれないが
「物語を語る布石」として置いておくのも面白いかなと。
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