窓の絵

マティス晩年の窓の絵です。

明日は晴れるだろうか?

ミニ風邪を引いてしまい、ポカリをがぶ飲みしています。こんな時に飲むポカリは死ぬほどうまい。

マティスの絵には窓がよく登場します。窓と同じで絵もよく登場します。いわゆる画中画です。例えばアトリエに絵がかけられているのを描いていたり。あとは、鏡。目の前の風景を切り取った覗き窓であるはずの絵のフレームの中にまたフレームがある、絵の中で、こちら側の絵とあちら側の絵がばっちり対面しているわけです。それらがどんどん接近して距離を縮めて、最後には絵と絵がくっついてしまう。完全にぴったり一枚の平面になってしまう。冒頭の黒い窓の絵はそのまさに接する直前を描いています。

真っ暗だから、その先が見えない。奥行きがあるのかないのかわからない。しかし板絵のようなボリュームのない描き方がされていますね。窓ではあるが、目の前で視線が塞がれています。そこには文字通りなにもない。あるのは色彩、だけど黒いから色すら感じない。見えない、ぺったんこの絵の姿そのものが今まさにさらけ出されようとしている。その瞬間を描いています。

窓の外の風景、絵の奥への解放ではなく、絵の手前に窓は開かれているわけです。絵のこちら側に風景は広がっているのです。絵の上にはなにもない、描かれているのは見えないこちら側の世界なのです。ロスコの窓は色彩の海が広がり果てない思索を促します。けれどマティスの窓にはなにもない。ここには二次元のトリックではない本当の絵の姿があります。そんなことが暗示的に表現されている作品だと思います。

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