田中敦子さんの絵

田中敦子さんの絵です。

ボールとそれを繋ぎ止めるコードみたいです。
コードによって天地が決まって重力がかかって、絵になっているみたいです。

力強くて不思議な絵ですね。

まったく色の調和が無視されていて良い、、普通絵を描く時ってたいてい何色の絵にするか考えます。白い絵か黒い絵か、ぼやっとした絵かはっきりした絵か、、朝の絵か夜の絵か、例えばモネなら。僕は絵を見るとき色がコントロールされているかどうかに着目します。どういうことかと言うと、話は逆で、コントロールのない方が良いのです。正確には色の選択が恣意的な方が良いということです。透明性がない方が良いのです。

なぜかと言うと、その方が困難な道だからです。論理的に色を選択することは簡単です。乱暴に言うならとにかく異なる色を段階的に並べていけば良い。色の種類、階段の数を増やすことが調和につながります。だから簡単で、一個色を置いたら、今度は違う色をおけば良い。筆を一回一回洗えば良いだけ、ただのルーティーンです。かなり乱暴に言ってますが、例えば図画工作の授業などではこんな風に指示を受けた経験ないですか?「絵の具は三色以上混ぜなさい」「黒は使ってはいけません」等々。色の種類を増やすことが目的です。色がたくさんあると色同士が反応して同じ絵の中でも注視する順序が複数でき、引っ込んだり引き立ったりします。それが現実みたいな豊かさを生んで見飽きない絵に繋がるというわけです。

そんなルール無視しましょう。関係ない、あえて反則してみる。それでも、いちおう絵にはなります。どんな風に、何をやっても絵は出来上がる。そうではあるけど、、じゃあ何色を選択する?実際に。画面に向かう。その時にどうするか。

ひとつは、「色を選択する」という言葉に状況が表れています。絵の具で描くのだから、絵の具を選ぶわけです。それが一番の問題点です。画材屋に並んでいる絵の具を買ってきて絵を描くわけです。つまり予め用意されたカラーの中から選ぶわけです。オリジナルな色などないのです。0から色を作り出すことは出来ないのです。現実に表れる前、頭の中でなら話は別ですが。。頭の中では皆素晴らしく創造的な絵を描くことが出来ます。僕は小学生の頃、下校時にひとり歩きながらいつも頭の中でミュータントタートルズたちを戦わせていました。頭の中ではどんなシーンでも思い描けるのです。頭の中では、それこそ見たこともないような色彩で想像もできない絵が描ける。誰しもが、です。

だから絵を描くということは、不自由な世界に頭の中の自由な絵を降ろすということです。何が不自由か?不自由だらけです。まず、さっきお話しした色彩です。色彩には色彩のルールがあり、そこに皆囚われている、否応なしに。それから絵の具。そもそも完璧にオリジナルな色彩なんて作りようがないでしょう。頭の中の色には劣る。どんな色も、鮮やかではないのです。あとは描くものだったり、大きさだったり、限界だらけではないか?

ですから、絵の現実の姿は限界ギリギリでしかなく、仮の姿であって、続きは頭の中で見えるような絵が良いのです。だから、頭の中に引っ張られ続けるような絵が良い。つまり舌ったらずだということです。何か言いたいのだけど、ぴったりな言葉が見つからない。けど何か言わなくては。。ずっとそのような状態にさせることです。絵は非論理的でなければならないと思います。

もっと単純に言うと、頭の中を描こうとしたが出来なかった。という絵が良い。言葉の表現がうまくいかないな。。ネガティヴな気持ちではなく、もっと何か、洞窟があって、先に行くには荷物や服を置いていかなくては進めないくらい小さな穴で、全部捨てて穴ぐらに引きずり込まれてしまう、結果として絵はその残された衣服みたいなものである、みたいな。穴の奥は真っ暗で、何にも見えないけど、何かが満ちているわけです。

この作家は基本的に丸と線で、この絵ばかり描き続けているみたいです。僕にはこの絵の意味は全くもって理解できません。ボールは僕も最近絵にしましたが、、この絵の意味はもちろん全然わかりません。けれども引きずり込まれるわけです。ごっそりそのままのイマジネーションを頭の中で見るわけです。絵を見ていながら、絵を見なくさせているわけです。

そんなことは普通ではない。のではないか?

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