絵をゲット×2

絵をゲットしました。

qpさんの作品です。from パープルーム大学@ワタリウム美術館。いいでしょ。

もう一点、こっちは智輝さんの絵↓

今住んでる部屋、天井が高いので絵を飾りまくっていきたいと思ってます。少しずつ、絵を集めていきたい。

ちょっとブログで喋りたい!

qpさん。http://www.k5.dion.ne.jp/~yokogao/

初めてqpさんの絵を見たのはpixivでした。お絵描き掲示板とか、ペイントソフトで描いたようなデジタル絵をアップされていた。船の絵とか、女性の絵。とにかくキラキラしていて虜になった。ブログで写真もやられていて、そっちもキラキラしています。隠し撮りシリーズとか、地面の写真が好きだなあ。地面に落ちてるゴミとか虫とかを撮影した写真。地面って一番きれいに光を浴びてるんだよな。水平だから。嘘がない。一番きれいな舞台かもしれない。僕は写真もけっこう好きです。ティルマンスとかそっち方面に通じる写真。スナップで、統制されていない。友達の写真家は綿密に構図を決めることにこだわってたけど、qpさんの写真はまた違うな。ティルマンスはもはや潔癖に見えるけど、qpさんのは偶然を楽しんでいるな。だからドラマチックなんだな。

話を絵に戻そ。アナログで水彩もやられているけど、僕の印象はpixivで見てたデジタルの方にあった。パープルーム大学では油絵も展示されていました。パープルームとのつながりで油絵を始めたと何かでおっしゃってたのを見た気がする。qpさんのアナログ、ペインティングは、決定的に新鮮に見えた。確かに、油絵をしてほしい!という気持ちはわかる。油絵というのは特別だ。それは僕らにとって、特に。美大で絵を描いた者にとっては。本音を言えば、油絵をできる人というのはほとんどいないんじゃないか?と僕は思っている。それは自分もそうだ。油絵を描くというのは苦しみが伴う。特に男はさ。そうじゃないか?絵画の立場が弱すぎるという現実もあります。他にも様々な問題が。それはまた今度考えようかな。

ワタリウム美術館で見たパープルームの展示は面白かったです。絵画が好きな人はテンション上がると思う。夢があった。美学というのは最も大事な部分だと思います。感性。近頃それがないがしろにされてないか?と端から見てて思うのです。だからこそ、先日のパープルーム大学は必然を感じました。ただ、センスだけではどうにもならない現実もあり、話が始まらない部分があり、そこに対しても意気込みをビンビンに感じました。

元々、パープルームのことが気になりだしたのはqpさんとか、蚊にさんとか、チェックしていた方々がつながり出したからでした。そういえば、蚊にさん、福士千裕さんのペインティング、持っているのですが、それは油絵で、京都の個展に伺った際、パープルームに出会って油絵を描いたとおっしゃってた気がします。なるほど、つまり、パープルームがいなければ存在し得なかった油絵作品だった。レアな作品に出会えて改めてよかった。こちらです↓

この作品も、確かに初めて油絵を描いたような水々しさを感じます。実際はどうなのかな。僕は福士さんの作品はマンガだと思っているけれど、ペインティングが好きだからこういう作品は有難い。色鉛筆の作品もよかったけど、それが油絵に繋がっていくともっと面白そうだなと。もっとハチャメチャでレアな油絵が生まれそう。

ドローイングの作家はたくさんいる。ドローイングは描けるが油絵は描けない、いや描く必要がない。むしろ油絵なんて照れ臭い。ダサい。そういう状況があって、でも油絵を描いたって別にいいんだよな。そういう状況って、洋画に対する意識と似ているかもしれない。パープルームの梅津庸一さんは洋画を捉え直そうとされている。なんだか、色々と大事な部分が繋がっていきそうではある。自分の中で。

僕自身、いわゆる洋画なんてものはほとんど意識したことがない。僕の頭の中にあるのは、俵屋宗達、ルドン、マティス、ロスコやニューマン、モーリス・ルイス、そういう作家たちです。中高生の時に画集を見たりしてた。僕の事情はちょっと違うかもしれない。というより、関西と関東の事情が違うのではないか。東京では美大の競争が激しく美術予備校の力がすごいらしいね。だから受験絵画なんてものが生まれるんだろう。試験で何時間もかけて油絵を描かせるようだ。そうすると受験絵画がお手本になってしまうのはまぁわかる。クセが抜けなくなってしまうんだろう。事情を知らないので全部、だろうなっていう推測に過ぎませんが。(その、受験絵画の大元が実はいわゆる洋画にある、ということなのかな。梅津さんの注目点は。)

そんな東京に対して、関西の事情はカオスですよ。元々競争率が低いし、受験時に油彩をやらせるとこなんて僕は知らない。デッサンも鉛筆画としての精度なんてそれほど求められない。僕は京芸の油出身だけど、入学して初めて油絵を触る人も普通にいたんじゃないかな。そんな状況だから、ペインティングを始めようったって参照元が何もない。ピカソの絵もまともに見たことがない人だっていそうだもん。京芸でもね。いや、どうだろう。というより、僕は学校で真面目に作家とか美術史とかそういう話もしたことないな。話をしてもあまり意味を感じない、だって基本がないわけだから。そんな環境です。だからペインティングやれったって、無理なわけです。最初はね。だから僕もずっと落書きみたいなことをしてた。そこから何とかしていく。何とかするしかない。その時に力になるのは絵画愛ではないか。つまり何が好きかという話にもつながる。そこを大事にしなければいけません。

京芸に入った時、最初のオリエンテーションで先生が、アートに正解はない、というお話をされて僕は心底がっかりしてしばらく学校に行かなかった。でも実際、それがこの社会の正しい現状だとも思います。

関西と関東の状況の違いは確かにあるだろうけど、そんなに大したことでもないな。やっぱり。結局はこのフラットな何もない地平ってところは同じなわけだし。だからきちんと見ようとすれば、個々の作品があるはずだ。それこそ無数にね。それがホントの美術だろ。抽象の力でも感じたことだけど。美術、をやらないといけない。

。。。て、結構長くなってしまった。支離滅裂。やはり僕は何か作るより絵を見る方がずっと好きみたいです。

qpさんの作品はシルクスクリーンで他にも違う布にプリントしたのがあった。もっと薄いスカーフにプリントしたのも良かったけど、ボリューム感でこれにした。僕の欲だね。でも今思うとスカーフのあの薄いヘラヘラ感の方がqpさんっぽかったかも?飛んでいきそうな感じ。いやいや、ぽさがない方が、ぽいではないか。。きれい。つか、布がきれいだからね。

飛んでいきそうで思い出したけど、今の「絵」って宙に浮いている。わかる?この感覚。浮遊している。透明。それをどこかへ降ろすのが画家の仕事になってる。つまり目の前にあるペインティングは仮の姿。他にも違う在り方があったし、絵の本体は見えなくて浮いている。qpさんのスカーフはこの感覚も表現されているように僕は思えた。一から全部を生成しない。すでにある、あったはずの、どこかの何かの形、線、それが偶然出会って絵になってる。しかもそれがプリントされて、布地の色と形に、また偶然に出会って、仮の姿、それがひらひら揺れて、また偶然に。偶然だらけだ!ミステリアス。

智輝さんの絵はTwitterで見ていました。過渡期だと思うけど、どんどん変化していっていますね。青が好きなのは僕もです。海で描いてた絵も良さそうだった。何を参照しているのか、ちょっと気になります。これはなんか目を引いて、ドローイングぽいけど四隅を感じたから飾ったら映えそうだなと思った。玄関の薄暗いとこに飾りました。視線を感じていいです。10年後どんな絵を描いているのか、まったく、想像できませんね。

いい絵をちゃんと見ていきたい。そう思います。深夜にめっちゃ書いてしまった。たまにはブログで発散させないと。

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