シュッとしてる

明日はお花見できるかな?

シュッとした形。

薄いステンレスみたいなもので作って地面に刺すのだ。銀引きして先端の方に自分の瞳分の幅だけ映るようになっている。

シュッとしてる、って関西弁ですね。関西人はあらゆるものをシュッとしてるかしてないか、で分けることができます。僕は完璧にシュッとしてるものが好きです。いい意味でね。必要最低限だということです。機能的とも言えるかもしれない。禅的なるもの??こだわりがないとも言えるかもしれない。水とか、研磨された石?いや、、樹木のような。。とにかく、シュッとしてたらいいんです。

瀬戸内国際芸術祭にも行ってみたいなぁ。芸術祭というより、また直島に行きたいのだ。10年くらい前に行ったけど、あそこはすごい。何がすごいかって地中美術館がすごい。それ以外は実際あんまり見ていない。あの場所はこの世間から完璧に隔絶されています。変わらずに眠り続けるタイムカプセルのような所です。一千年先のことまで考えている。あそこに入ると僕らが死んだ後の世界へとジャンプできる。淡路島で育った僕にとって何か親しみもある、瀬戸内の小さな島にそんな時空が永久保管されているという奇跡、なんともポエティックな場所です。

だから地中美術館にはもう一回くらい行ってみてもいいかもしれない。いや死ぬまでには絶対行くべきだ。でも人の混んでない時がいいなぁ。それこそ50年後とか?それに今見てみると、直島にアートスポットが増えています。地中美術館ともうひとつ、「李禹煥美術館」です。ここにはぜひとも行かなければ。。

李禹煥さんの作品は関西的に言えばめちゃくちゃシュッとしてます。私のスーパースターです。必ず行かなければ、、、行きたい、、、、

しかし焦る必要はないのです。地中美術館もそうですが、あの場所は50年後も必ず存続しているでしょう。100年後は?それはわからないけど、たぶん。行けばわかる。そういう大らかな場所なのです。李禹煥美術館だって同じでしょう。僕らの生活とは無関係に保存され続ける。ある意味、墓場のような場所なのです。墓場というと不気味ですが遺跡と言えば分かりやすい。エジプトのピラミッドは僕が生きているうちは崩れ落ちないでしょう?少なくとも、たぶん。だからいつでもピラミッドには会いに行けるのです。お金と時間、その他諸々が揃えばですが。美術館はそうあるべきだと思います。ピラミッドのようであること。もちろん他のやり方もありますけど。

僕が初めて地中美術館に行った時の感動ってそういうものでした。記憶が定かではないけどまだ十代の頃だったのでは。そう思うと芸術祭は結構長いこと続いていますね。すごいことだと思います。つまり、アートという未来永劫続く不動の大きな営みを感じられたということです。それが、僕の身近な瀬戸内の島の田舎町で、という所がポイントです。ヨーロッパに行けばそんな場所はたくさんあるかもしれない。けれどそれはある種当たり前のことなんです。そこで生まれ育ったものだから。モネの睡蓮がこんな小さな島の地中に埋まっているなんて、誰も想像できない。第一驚きがなければならないし、土地や人を物理的に超えるその不条理さがアートの力でもあるし、意味でもある。

つまり家の近くの島にピラミッドが埋まっていた。かなり乱暴に言えば、そんな発見です。いやいや、もちろん直島や瀬戸内の島々は美しいところなんですよ。それはわかってます。僕のイメージでは完璧に負けてます。僕の出身の淡路島のことです。淡路島だけ、なんでか瀬戸内のオシャレなイメージに乗れずに、瀬戸内国際芸術祭にも入れず、四国への通り道みたいな扱いになっている。。淡路島はなんでかオシャレになれない島なんですよね。サイズが中途半端に大きいからかもしれない。いつも僕は小豆島あたりの島々のことを羨ましく思っています。(故郷のためを思って言っています。)

やはり僕はシュッとはなれないのだろうか。。

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