美しい写真

奥田さちよさんに撮ってもらった写真。

ミラージュアイTシャツのイメージ写真として9月に撮ってもらったものです。今のツイッターのアイコンもその時の写真です。このイバラ越しの写真は商品ページに載せてなかったので唐突ですが紹介したくなりました。撮影地は大阪・北浜です。中洲のような場所にちょっとしたバラ園があるんですがその辺りです。この時はなぜかお互い体調最悪だったのを覚えてます。国立国際でティルマンス展を見て、その後ふらーっと撮影してもらいました。着てるの僕です。いい写真ですね。

以下、写真についての話になります。

しばらくやめていたインスタグラムをまた始め出した。非公開でやっているけど、やり出したらなぜか無性に面白くて、とにかくフォルダにあるものを、あげられるものはなんでもあげてしまう。一昔前、タンブラーなんかが流行り始めた頃、ネット上に氾濫する「画像」に心底うんざりしてしまった。単純に量が多すぎるんだけど、クールな画像にあまりにも簡単に出会えてしまう状況に嫌気みたいなものが出てきた。それでインスタグラムも同じように感じ、アプリを削除してしまった。で、なんでまたやり出したかと言うと、最近自分の周りでTwitterをやめてしまう人が何人かいて、近況が知りたいということで、じゃあインスタにはまだいるのかな?と。それでまた覗き出したのである。見てみると、みんなそこで粛々と写真を投稿していた。自分で撮った写真を上げている。どんな写真かと言うと、まず要するに、美しい写真なのである。植物や、街の風景、空、その人の宝物であるとか。僕はそういう写真がたまらなく愛おしい。

僕は写真を見るのは好きだけど、自分が写真を撮るとなるとどうもうまくいかない。僕のインスタの写真を見た知人に「なんであんなに下手なの?わざと下手にしてる?」と言われてしまった。確かに、インスタグラムではアイフォンで撮った写真を全部とにかく無加工であげるようにしている。これには理由があって、選び出すとキリがないからなのだ。それに、僕は写真のことをほとんど知らない。だから居直りを決め込んで、ぶっきらぼうにシャッターを押してしまうのである。

仕事でたまに商品撮影をやっているのだけど、その時は真剣に取り組んでいる。一個の商品につき何枚も何枚も撮影して、そんでPCで選別して、さらにフォトショップで加工して、と、とにかく時間がかかる。アマチュアの僕でさえこうなのだから、プロカメラマンとなるともう相当色々な手間ひまが掛かっているはずだろう。綺麗な写真を作るのは大変だ。でもある意味では、時間をかければある程度は誰でも綺麗な写真は撮れるということか。

ある時、友達に僕の写真の下手さを厳しく指摘された。そいつはけっこう写真が上手くて、シーンごとにカメラの設定や、撮影アングルを細かく調整して撮っている。僕の写真は、構図が駄目だと言う。例えば人物を撮るときに余計なものが映り込んでいる。映り込むものは必要最低限にした方がいいらしい。次に、カメラの設定をいじらないのが駄目らしい。僕は基本的にオート設定で撮っていて、高機能なデジタル一眼(ソニーNEX-5)だからまあまあ綺麗に撮れるんだけど、逆光になることが多かった。撮影するシーンによってカメラの設定を変えた方がいい、ということ。

どれも当たり前すぎる話だけれど、僕はけっこう悩んでしまう。構図が特に難しい。商品撮影の時はフォトキューブという白い布張りの箱の中でバック紙を敷いて撮影するから、被写体以外のものは写らないのだけど、スナップショットのようにその場で出会った瞬間を切り取る場合、色々なものが画面の中に入り込んできて、もうどうすれば良いかわからなくなってしまうのである。ちょっとカメラを動かすだけで状況は一変してしまう。無限に撮れてしまうような気がして。そのような混乱のしのぎ方として、例えば人物なら全身を撮る、など被写体全部をきっちり画面のど真ん中に入れてしまったりする。風情も何もあったもんじゃない。

カメラを構える、というのもなんか変な感じ。ぎこちなさが出る。それはアイフォンでもソニーのデジタル一眼でも同じ。人前でも一人でも同じかもしれない。人前だと見られているという緊張があるからまだしっかり撮れる。ひとりで撮影する場合はだれてしまう。どうとでも撮れてしまう、が故に選べない。というより、何を選んでよいかさえ不鮮明な状態。

僕には写真は向いていないのかもしれない。自分がいい写真を撮れないから、美しい写真を撮る人たちは本当に尊敬するし、なんだかミステリアスに見えてしまう。美しい写真に出会ったとき、僕はその眩しい才能に目が眩んでしまうのである!

その1 ▶ qpさん 明るさ 

qpさんの写真はもうたまらなく好きで、なんであんなに美しいのか、すっかりハマってしまっています。色んなシリーズがありますが、僕が特に好きなのは地面を撮った写真。なんでこんなにドラマチックなのか。美しいと言うほかないです。やっぱりこれはセンスの問題で。なぜ美しいのか?なんて問うのはナンセンスなのかも。

その2 ▶ 奥田さちよ 空の写真

奥田さちよさんの写真。彼女は写真屋で、フィルムカメラを愛している。僕もフィルムカメラを使ってみたことがあるけれど、一番難儀したのは現像するまで何が写っているかわからないところ。ファインダーを覗かなければならない。それに、現像する過程で露光をいじることができたり、意図せずノイズが入り込んだりしてしまう。普段写真なんてデジカメやアイフォンで十分という人には使いづらいったらありゃしない。フィルムカメラでは、簡単に「きれい」な写真なんて撮れないのだ。でも彼女はそんなこと何にも気にしない。光や雲、影、風、瞬間の揺らぎそのものを受け入れて味わっているように見えた。ファインダーを覗き込んでシャッターを押す楽しみ、ってのも良いのかもしれない。

その3 ▶ ティルマンス テーブルの上の無重力

僕にとっての写真家はティルマンス。僕は今までこんなに開放的な写真たちを見たことがなかった。彼がシャッターを押せば、どんなものでも写真になっちゃう。それこそ、床に散らばった靴下でも、なんでも。そしてなぜか、どんなものでも、とんでもなく美しく見えるのである。気分が塞ぎ込んだ時、僕は彼の写真集を見て勇気をもらっている。

その4 ▶ 南海荘さん 淡路島の風

淡路島にある噂の民宿「南海荘」さんのブログの写真。イタリアンが出てくる民宿です。オーナー&シェフの竹中淳二さんは日々のお仕事の様子を毎日写真付きでアップされています。その写真が本当に美しいんです。こんなにキラキラした料理や食材の写真はそうそう見られるものじゃないです。お料理が美味しそうなのはもちろんですが、写真として素直に美しい。感動が詰まっています。盛りつけが綺麗だからとか、そういう問題ではありません。料理人だからこそ、こんな写真が撮れてしまうのだと思います。料理、魚や野菜などの食材、ゆうぐれの水平線、島の風景、ぜんぶ等価なものとして輝いています。


、、、つづく?

唐突ですが写真のお話でした。

この文章は夏ぐらいに書いていたもので、なんとなーく写真について語っています。つらつら書いてどこに出すでもなくしまってたもの。僕には写真コンプレックスのようなものがあり、写真を撮るのは苦手だけど、見るのはすごく好きなんです。僕にとって写真はミステリアスな存在です。美しい写真なら、なおさらです。ご紹介させていただいた方々は本来は文章の合間合間に入れ込む感じです。やっぱり写真がないとわかりにくいかな?元々のテキストには画像も入っていました。この垂れ流しのテキストにはいちおうまだ続きがあるので何回かに分けます。写真玄人からすれば、何の話をしているんだ?という感じかもしれませんね。まとまりないので、続きは添削してアップします。

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